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2008年07月18日(金) 13時30分

100年前の南米ブラジルで移民たちは何を目指したの?R25

皇太子さまが6月にブラジルを訪問されたり、日本各地で特別展示が行われるなど、何かと話題になっている「ブラジル集団移民100周年」。今年は、1908年(明治41)に約800人の日本人を乗せた笠戸丸が神戸を出港して、ちょうど100年目にあたる年なのだ。当時、移民たちはいったい何を目指して旅立ったのだろうか? 『笠戸丸から見た日本』の著者、宇佐美昇三氏はいう。

「彼らは、コーヒー栽培での一攫千金を夢見てブラジルへ渡りました。しかし、様々な事情で出発が遅れたため、到着したのはコーヒーの収穫期が終わったあと。しかも、彼らが入るはずだった地には、すでに他の労働者が雇われていた。そこで送り込まれたのが、土地柄の悪い耕地だったのです」

そもそも集団移民は、江戸時代末期から一攫千金を狙う手段のひとつだった。また、当時は日露戦争の影響により兵役から逃れようとした者、逆に海外に憧れた者もいた。だが、この集団移民の背景には、「増えすぎた人口を減らす政策の影響が色濃い」と解説する文献も多い。

新天地で移民たちを待っていたのは、あまりに厳しい現実…。日本に帰ろうとする人はいなかったのだろうか?

「帰れなかったのです。なぜなら、彼らは『集団』だった。家族を連れてきてしまい、ひとりでは現地人との交渉をする語学力もない。経済力の問題もあります。なかには、コーヒー園の経営者としてだけでなく医者として成功した人もいますが、あくまでレアケース。おびただしい犠牲のうえに、移民たちはブラジルに定着していったのです」(同)

ブラジルでは、「ジャポネス・ガランチード」(直訳は日本人的保証)という表現がある。これは、“日本人のように誠実できっちりしている”という意味だ。1908年以降もブラジルへの移民は続き、彼らの功績によって日本人の信頼度と勤勉さはそれほどまでに評価されている。世界を見渡してみれば、私たちが知らない日本人の歴史はまだまだあるのかもしれない。
(R25編集部)

※コラムの内容は、フリーマガジンR25から一部抜粋したものです

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