2008年07月14日(月) 10時40分
「生きる」ために歌う──中村 中、インタビュー(下)(オーマイニュース)
いよいよ公開となった映画『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』。同映画の主題歌『風立ちぬ』(3曲入りマキシシングル7月9日発売)を歌う中村 中さんの等身大の姿をお伝えしていく。
(「等身大の中村 中(前編)」からのつづき)
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■どこか不完全、どこか中途半端
「全部フルで生きていきたい」からだろうか。中村 中は、中途半端なことが嫌いだ。これも、やはり子どものころから変わらないことのようだ。
幼稚園のころ、班に分かれて、木で家を造るというお遊戯があったそうだ。
「で、どうやって作ろうかと悩んでいたんです。玄関はここ。水道はここで……。水道があるということは水をひかないといけない……」
彼女が悩んでいると、班のほかの子どもたちは、好き勝手に作業を始めてしまった。
「どう考えてもみんなが家を造り始めた場所は水道から遠かった。それに屋根を載せることを考えていないから、柱の高さもまちまち。雨が降ったらどうするんだ、と思って主張したんですが、みんな聞いてくれなくて……」
結局、柱の高さはばらばら。とても屋根を載せられる状態ではなかった。
「柱の高さをそろえよう」と主張を続ける彼女を見かねて、園長先生はこう言った。
「柱の高さは僕が切ってそろえるから、ほかの作業をしよう」
しかし、結局、園長先生はそれをやってくれなかった。
「ショックでした……。何のために家を造っているのか、何のために、家を造らされているのかわからなくなって、憤りました」
このように、小さなころから中途半端を嫌い、“リアル”にこだわる子だったようだ。このエピソードに中村 中の原点を見るような気がする。
「性格もしっかりしていないし、絵や字も上手じゃなくて、全体的にバランスが悪かった。そのぶん、しっかりやらなきゃいけないという自意識が強くて、だからきっちりと形が出来上がるものに憧(あこが)れるのだと思います。自分もしっかりとしたものになりたいと思って……」
「私は、どこか不完全、中途半端な形で生まれてきてしまったのではないか。そんな気持ちはいつもどこかにあったし、今でもありますね、きっと。だから自分が作るものはきちんとした形にしてあげたいと思うんです」
■「歌う」とは、「聞く」とは……
そもそも中村 中は何のために、歌っているのか。インタビューの後半、そんな直球の質問をしてみる。
「私は、深い部分で自分自身のことを認めることができなかったんです。それでも、自分をどうにか認めたいという気持ちを持って生きてきた。死ぬまでに、人生が良かったと言えるようになるために歌っているのかもしれません」
では、歌うことで何を表現しているのか。
「言葉にできない気持ちや感情をどうすれば形にできるだろうかと学生のころからずっと悩んでいました。それを口に出さなかったら、自分の内側にいろいろなものがたまっていつか破裂しちゃうんじゃないかなと思っていて……。そういうものを表に出さなかったら、誰にも気づかれず、誰にも必要とされず、消えていってしまうのではないか。そう思うと怖かった。私は、自分の気持ちを歌という形にしているんです」
自分で好きな歌は? そう尋ねてみる。
「聞くほうで好きなのは、『風の街を捨てて』という曲です」
デビュー曲『汚れた下着』のカップリング曲だ。
「“私はここから始まるんだ”という思いで、デビューへの決意を書いた曲です。これから戦うという気持ちで一気に書いた曲で、二度と書けないかもしれないというくらい、さわやかな印象の曲になりました。普段はすったもんだしながら、頭のなかで言葉をミキサーにかけて、ひと言、ひと言必死に考えながら書くのですが、これは本当に何も考えずに書けた。聴いていて楽なんです」
歌うことが好きな曲、聴くことが好きな曲。そう区分する観点は新しいなと思っていたが、話を聞いてその姿勢にも合点がいった。身体の中にたまってしまっている思いを、歌という形で表現し、発散しているのだから、それを聞くことは、もう一度自分と向き合う作業になるにちがいない。
「歌う」とは放出する行為であり、「聞く」とは受け入れる行為、なのかもしれない。
■不思議な記憶のたどり方
彼女にインタビューをしていて不思議だなと思ったことがある。今回のインタビューでは、彼女の等身大の姿に迫るべく、ルーツを求めて子どものころの話もよく尋ねた。
「こういう機会がない限り、過去のことはめったに振り返らないんです」
そう前置きしながら、さまざまなことをゆっくりと思い出しながら話してくれたのだが、その振り返り方が、記者にとっては新鮮だった。
例えば、「中学生時代は?」と問われた場合、中学校1年生のころを起点に、2年、3年と思い出していくのが一般的なのではないだろうか。
しかし、彼女の場合、現在を起点に、糸をゆっくりと手元に手繰り寄せるように過去へとさかのぼっていくのだ。
「今に近いほうが、濃いじゃないですか。だから、巻き戻すほうが思い出しやすいですよね」
過去のある時期が濃い人は、そこを起点に記憶をたどるのかもしれない。しかし、常に人生の濃度を高めてきた彼女にとっては、今の瞬間瞬間が起点なのだ。
「今が一番いい。それはいつでもそうですね」
いつでも、今が一番いい。とてもすばらしいことだと思う。
■「歌う」、それ自体が「生きる」こと
紅白歌合戦を経て、今回の映画『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』の主題化に抜擢(ばってき)。7月20日には、チャリティー野外音楽イベント「ap bank fes08」にも参加する。
ますます上り調子のように見えるが、克服しなければならない課題も少なくないそうだ。そして、そのなかでもとりわけ気になっているのはライブだという。
人形師とコラボレートした形の舞台に出演するなど(DVD『中村 中×牡丹燈籠』)、舞台へのこだわりも強い彼女だが、自分自身のライブにはまだまだ納得できていない。
「私が舞台や歌舞伎が好きなのは、おそらく、形式美に憧(あこが)れているからなんです。先ほど、自分がバランスの悪い人間だという話をしましたが、やはり舞台も、全体のバランスが大事ですよね。その意味で、私がやっているライブは、まだ、“かたち”になっていない。もっと私がしっかりして、ステージを作っていかなければなりません。克服すべきテーマです」
自分が作るものはきちんとした形にしてあげたい。その気持ちがとりわけ強い彼女にとって、ライブのトータルコーディネイトは、日々、頭を悩ませる問題なのだろう。
ところで、記者は、幸運にも新曲『風立ちぬ』を目の前で聴く機会に恵まれた。すでにテレビCMなどで曲を耳にされている方も少なくないだろうが、やはり、 “リアル”は違う。歌とは全身で歌うものなのだと、想(おも)いが身体からあふれるとはまさにこのことなのだと思い知らされた。
「この歌は別れを克服する旅立ちの歌です。聴く人に力を与えると思うし、私自身、たくましくなりたいという気持ちで作りました」
「私が歌で“何か”を皆さまにお伝えすることが本当にできているならば、歌いやめることは、もう私だけの責任じゃなくなってくる。昔はこんな自分なんて……と私自身思っていましたが、今では、誰もが、必ず誰かの支えになっているんだ、胸を張って生きていっていいのだと自信を持って言えるようになりました」
中村 中にとって、「歌う」とは、それ自体が「生きる」ことなのだろうと思う。
(記者:馬場 一哉)
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