2008年07月11日(金) 17時35分
読者レビュー◇『満月の夜、母を施設に置いて』 藤川幸之助・松尾たいこ・谷川俊太郎著(オーマイニュース)
「もうよか」(もういいからという意味)。老人病院のベッドで私の父が言ったのはもう20年ほど前になる。今の私と同じように脳梗塞(こうそく)で軽いまひが残った。リハビリを始めようとしない父に、父とは距離を置いてきた私は義務的にリハビリを勧めた。それに対する返事が「もうよか」だった。
そのときは、深く考えることもなかったが、言葉だけがいつまでも残っている。そのころの父の年代に近づくにつれて、よく思い出される言葉になった。それは、生きることに対する執着が薄らいでゆく実感のようだ。
藤川幸之助氏の母は認知症となり、父が介護し、父亡き後に藤川氏が介護することになる。
「母が車の中でウンコをした/臭いが車に充満した/おむつから染み出て/車のシートにウンコが染み込んだ/急いでトイレを探し/男子トイレで/尿の始末をした」(「おむつ」第1連より)
いつ終わるとも分からない介護の日々がやってきて、
「母よ/私はあなたを殺してしまおうかと/思ったことがあった」(「そんなときがあった」より)
という日々もくる。そして介護の日々を
「人の目がなかったら/私はひんなに親身になって/母の世話をするのだろうか?」
と自らに問う。
そうした中で詩を書くことなど言葉を吐き出すことで介護のどうしようもない日々から解放されたと語る。そして、この本にはもう一人の主人公、父の存在が大きかったことを示している。
「父は/おむつ一つ買うにも/弁当を二つ買うにも/領収証をもらった/そして/帰ってからノートに明細を書いた/『二人で貯めたお金だもの/お母さんが理解できなくても/お母さんに見せないといけない』/と領収証をノートの終わりに貼る父/そのノートの始まりには/墨で『誠実なる生活』と父は書いていた」(「領収書」第1連)
このような父の姿を見ることで、息子はあらためて父を見つめなおす。母は、家族の絆を深めていく触媒になっていく。ただ、そこにいるだけのように見えながら。家族以外の人との関係も変わっていく。そうしたつながりの中で、生きることをやさしく隠さずに見つめていくことができるようになっていく。やがて、
「認知症はどうしてこんなに腹立たしく愛おしいのだろう」
という思いを抱くことになる。
私や私の父は「そこにいる」ことの意味を掘り当てることができないでいたのだろうか。そんなことも考えさせられた1冊。松尾氏の絵と谷川俊太郎氏との対談も興味深い。谷川氏は自らの介護体験を踏まえて宅老所の支援などもしている。
藤川幸之助=詩/松尾たいこ=絵/谷川俊太郎=対談
中央法規出版
2008年06月10日発行
定価1575円
138頁
(記者:下川 悦治)
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