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2008年07月07日(月) 10時02分

“ナンミン”って何?クルド人って誰?オーマイニュース

 青山学院大学(東京都渋谷区)正門の真向かいにそびえたつ国連大学ビル。

 普段、ビル入り口前の広場は、交通量の多い国道246号線(青山通り)に面していながら、比較的静かな雰囲気を醸しているのだが、今から4年前、その広場が約70日の長期間にわたって騒然とした時期があった。

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 2004年7月、トルコのクルド人難民、カザンキラン一家12名が、難民受け入れを求め、国連大学前に集結したのだ。

 彼らはそれまで日本で3度、難民申請をしたが、いずれも不認定処分に処されていた。それを不服とした彼らは日本政府に対して裁判を起こし、地裁では勝訴したものの、高裁では「難民性はない」とされ、逆転敗訴。

 それにより、父アーメットさんの強制送還の危険性が高まり、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に難民認定をアピールするデモを行うことになったのだ。国連大学前での座り込みは、7月13日に始まった。

 アーメットさんは、涙を浮かべながら、連日、大声で訴え続けた。

 「今、起こっている問題はわれわれだけの問題ではなく日本国民全体の問題です。21世紀、東京の真ん中に難民キャンプを作ることで、恥ずかしい思いをするのは私たちではありません。法務省が恥ずかしいのです。日本人はどうして私たちをこのような状況に追い込むのか? 私たちだって人間なんです」

 しかし、その願いむなしく、結局強制送還が決定してしまった……。

  ◇

 そんなカザンキラン一家に興味を持ち、彼らの姿をカメラに収めようと考えた日本人青年がいた。

 当時、日本映画学校でドキュメンタリーの制作を学んでいた野本大さん(当時21歳)だ。ナンミン? なんだ、それ……? それまで難民問題、民族問題などを深く考えたことはなかったそうだ。では、なぜ彼らに興味を持ったのか。

 まず、カザンキラン一家の持つ人間の魅力にひかれたのが発端だ。次いで、彼らに裏切られるような出来事が起こる。そして、いったい何が真実なのかを確かめたくなったからだという。

 撮り続けて3年。遠くトルコに足を運び、また、NZにも飛んだ。そして完成した映像は、2007年、山形国際ドキュメンタリー映画祭「アジア千波万波部門」で、市民賞と奨励賞をW受賞することとなった。

 ジャーナリストの田原総一朗さんは「ドキュメンタリーの原点をこの映画に見た」と言う。

 Jリーグ・ジュビロ磐田所属の中山雅史さんは「一人でも多くの方々に見てもらい、何かを感じとってもらえれば」と言う。

 各所で注目を浴びながら、いよいよ7月5日(土)、一般公開されたドキュメンタリー映画のタイトルは『バックドロップ クルディスタン』。

 「一番近かった傍観者」と自分自身を位置づける野本さんへのインタビューを紹介する。

  ◇

自分が人間として問われる瞬間を作り出したかった

───野本さんが、映像製作を志したきっかけ何だったのでしょうか。

 「高校卒業後、日本映画学校に入ったんですが、実は当時、明確なビジョンがあったわけではなかったんです。中学生の当時、僕は何もビジョンを持っていない自分のありように不満を感じていて、発散できる手段を探していました。そして、自分を表現できるものなら何でもいいと思い、音楽もやったのですが違いました。そして、なんとなく映画が好きだったこともあり、映像を学ぶことにしたんです」

───映像に取り組むことで不満、あるいは不安は解消されましたか。

 「少なくとも、何もしていないという状態からは抜け出せました。僕には子どものころから、一生懸命、自分を他人から区別したい気持ちがあって、人とは違うことをやりたいし、集団のなかにまぎれたくなかった。それゆえ、自分にはいったい何ができるんだという根源的な悩みを持つようになってしまったのです。その解決手段が、今は、ドキュメンタリーという感じですね」

───なるほど。だからこそ、今回の映画もクルド難民を追ったドキュメンタリーでありながら、決して「難民問題」「クルド問題」のリポートというイメージではなく、野本監督の自分探しの意味合いを感じさせる作品になっているのですね。

 「それはあるかもしれません」

───そんななか、題材としてカザンキラン一家を追いかけようと思ったきっかけは何だったのですか?

 「振り返ってみますと、自分が人間として問われる瞬間を作り出したかったという気持ちがあったのだと思います。そのために、まったく知らない異質なところに飛び込んでみたかった。民族問題って、遠いところで起こっている問題というイメージがあるので、最後にはひとこと、『わからない』で済ませてしまえる。想像すらできない範囲のことだったんです」

───逃げてしまえるからこそ、自分が問われる問題だと……。

 「はい。だから、絶対的に、自分にとって異質なところで勝負し、自分を追い詰めたかったわけです。ただ、実はそういう気持ちには、あとから気づきました。当時はそんなことはまったく考えておらず、単純に家族(の魅力)にひかれただけでした。ひかれた理由として特に大きかったのは、自分の立場や意見を明確に言っていること。その主張が正しい、間違ってるは別問題ですが、自分のことすら明確に言えない僕にとって、立派に見えました。それに、お父さんは面白いし、娘のゼリハはかわいい。子どもたちは元気で、一生懸命生きようとしている。純粋な姿にひかれたんです。その、当たり前のことが、当たり前にできていない自分でしたから」

簡単に白と黒という対立構造を作るのは避けたかった

───クルド難民を扱ったドキュメンタリーというと、やはり社会派的なイメージが強いですが、この作品は、「日本人のあり方」を考えさせられる“気づき”の旅のようなイメージですね。

 「自分の内面の幼さや不安を、社会というものと照らし合わせているんですよね。だから、主体は僕なんです。クルド人、難民問題をいろいろな人に知ってほしいというスタンスであれば、違う作り方になります。監督である僕がいろんなことを知っていく、気づいていく段階を克明に追っているのがこの作品です」

───いろいろなことを知っていく中で、父親であるアーメットさんのウソが判明します。そして、彼らに強い疑いを抱くシーンもありました。

 「映画ではだいぶ和らげていますが、実際には、映像に表れているどころではないほど、不信感を抱きました。信じていた人なんですよ。でも、それは僕が勝手に抱いていただけの、きれいな幻想だった。ただ、違和感や不安を感じながらも、これはただのウソつきと言えるようなレベルの問題ではないと思いました。そこで、ウソをつかざるをえなかったシーンを知りたいと思ったし、知るべきだと思ったし、責任とまでは言いませんが、僕はトルコに行って確認すべきだと思ったんです。実情を知ることが、この家族の本質を知ることになり、その時、僕はこの家族を受け入れるかどうかを決める。日本で彼らを応援するなどしてかかわっていた人たちの中には、そこを見まい、としていた人もいるのではないかと思います」

───野本さんは、映画では最終的な結論をメッセージとして発信してはいません。

 「明確な答えを僕は明言していないし、こうするべきだ、と主張する映画ではないと思っています。明言できないことが、この問題の根の深いところです。簡単に白と黒という対立構造を作るのは避けたいですね」

───答えは提示されていないけど、見た人は、それぞれ自分なりの答えを出せるかもしれませんね。ところで、野本監督は、カザンキランさんたちを、本当の意味で難民だと思っていますか?

 「よく聞かれますね。この家族は難民なのかと。僕は、この家族を難民だと思って見てくれたらいいなと思います。明言はしていませんが、そういう作り方をしています。法律で定める以前に、心で感じなければならない問題だと思うからです」

───ちょっと大上段な質問になってしまいますが、クルド人たちが抱えている問題は、どう解決されるべきだと思いますか。

 「僕はあの家族をベースにしか語れませんが、彼らにとって大事なのは、クルドの国ができることでは決してないと思います。表現の手段として希望を持つことは大事ですが、彼らが求めていることはそんなに大きなことではなかった。僕が見てきたこの家族にとって大切なのは家族全員で暮らすことだった。家族の歴史上、初めて一緒に暮らしたのは日本だったんです。そして、もう1つ、彼らにとって大事なのは、誰の目も気にせず、自分がクルド人だと言える場所があること。たとえ、クルディスタンで暮らさなくても、自分たちが、クルド人だと言える場所であれば幸せなのではないかと思います」


『バックドロップ クルディスタン』
ポレポレ東中野にてロードショー中 ほか全国順次公開

(記者:馬場 一哉)

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