2008年07月03日(木) 18時18分
「介護疲れ」事件の多様な背景(オーマイニュース)
今年も半分が終わろうとしている6月29日。福岡県行橋市で78歳の男性が踏切にしゃがみこんでいて、はねられ亡くなったという事件があった。77歳の認知症の妻が残されたままで、介護疲れから「死にたい」と周囲の人に漏らしていたという。
このような介護疲れなどにからんだ事件が、私がこの半年間、ネットで調べただけで30件あった。しかし、報道されることも少なくなり、ネット上に掲載されることも少なくなっている。
事態が改善されているのではなく、日常化しているように見える。
この国の介護はどのような実態なのか。報道の範囲内という限界はあるが30件の例から考えてみる。この30件のなかには介護する側だけが亡くなったケースも含んでいる。
「介護疲れ」の人たちは
動機は「介護疲れ」と見られると報道されたものが多い。家族の関係は親と子が14件、夫婦も14件となっていて、ほかの2件も親せき関係になる。介護される側の状態は「寝たきり」と表現されている人が4人。認知症が6人。そのほかは脳梗塞(こうそく)など、病名が書かれているがさまざまで特定できない。
手段としては、介護者は首つり、お年寄りは首を絞められて亡くなっているケースが多い。親子での介護では、される側のお年寄りの最高年齢が96歳。介護する人たちは50歳代後半から60歳代が多い(介護放棄で逮捕された45歳の人を除く)。夫婦での介護関係の場合、お年寄りの最高年齢が90歳。夫婦の平均年齢は76歳である。
(1)公的な支援を受けていると判明しているのは「訪問介護」1件。近く、民生委員と相談に行くことになっていた人が1人
(2)このなかで心中(未遂含む)は8件
(3)介護者だけが亡くなったのが2件
(4)子どもが亡くなり介護をする人がいなくなったケースもある
(5)行政が「虐待」を把握していなかったのが1件
報道からだけでは分からないが、一般的には、介護者にも、軽度の介護が必要な人が多いと言われている。よく言われるように、「老老介護」がもたらす事件であり、先の見通しもないまま日々を送っている人たちに、モラルを問うだけでは解決しないことが伺える。
「動機」に見え隠れするもの
「介護に疲れた」が引き金とされているが、背景は多様であろう。治る見込みのない人の介護がこれからも続くことの苦痛、介護自体が嫌、お年寄りが言うことをきかない、介護を嫌がる……など、複合的な要因が伺われる。このほかにもありそうだ。たとえば、
(1) 「子どもに迷惑をかけたくない」というのがある。親としての気持ちは理解できるが、介護が家庭内の問題だけでなく、社会全体の課題ということが広く共有されるべきではないか。
(2)「生活苦」のなかでの事件もいくつかあり、国民健康保険を脱退していて、後期高齢者医療制度での年金天引きなどを悲観していたケースもある。セーフティーネットが機能しているかのチェックを誰がするか、という課題もありそうだ。民生委員に頼るのは酷ではないか。
(3)有料介護ホームにいながらも、夫が妻を絞殺未遂というケースもある。さらに、福祉施設で働く子どもが「虐待」「心中」しているケースもある。関係機関とつながっていても、それが安心とはならないことを示している。それは、介護問題が私的なものだという意識から抜け出ることの困難さも示している。
(4)「言うことをきかない」など、介護の基礎が分からず殺人に至った息子が2人いる。これは、夫の場合も似ているのかもしれない。介護する人の基礎的研修などの支援が必要である。
介護というものを家族以外のものに頼ろうとしても生活苦から難しいこともあるし、なんとか家族内で解決したいと願う心情もある。
地域によっては安否確認などさまざまな取り組みがなされてはいるが、「元気老人」が対象であることも多い。介護している人たちは、日々に精一杯で、周辺情報を取り込むことも少なく、かつ困難である。
このように、家族介護の限界がありながら、現在の介護保険制度が「家族介護」を前提にしたものになっていることが根底にあるのではないか。
同時にもっと難しい問題は「ピンピンコロリ」を夢想し、病気や介護という現実を考えようとしない私たちの意識改革かもしれない。
(記者:下川 悦治)
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