2008年06月24日(火) 12時47分
フィリピン客船沈没、出港判断に誤りはなかったか?(オーマイニュース)
フィリピン中部シブヤン島沖で6月22日に大型フェリーが座礁し、転覆した事故は、台風の中での救助活動の難しさをまざまざと見せつけた。この船には乗客乗員およそ860人が乗っていたとみられる。そのなかには数10人の子どもたちも含まれていたという。
今回沈没したフェリー、「MV PRINCESS OF STARS」(プリンセス・オブ・ザ・スターズ)は、2万3824トンの大型フェリーだ。
1944年にアメリカ空母機動部隊の攻撃によって撃沈させられた戦艦武蔵もシブヤン海に沈んでいる。戦艦武蔵は6万4000トンだった。
比較のために挙げると、イージス艦あたごは基準排水量7700トン、満載排水量1万トン。日本のフェリー会社である太平洋フェリーに聞いてみると、現在同社で保有する大型のフェリーは最大で1万6000トンだと言うから、「MV PRINCESS OF STARS」の大きさがわかる。
私は今回、台風がフィリピンを通過する予定があるのに、何故、この大型フェリーは出航したのかを調べてみた。
フィリピンの新聞『INQUIRER.net, Philippine』に、日本では報じられていない、気になる情報があった。暴風雨警報があったにもかかわらず沿岸警備隊が出港許可を出したのは、フェリーが2万3000トン以上の船であったから、と言うのだ。
生存者は、沈没直前の波の大きさは「ほとんど山のようだった」と台風の猛威を語っている。
この事故で二重の不幸だったのは、マニラを出港しセブ島に向かう途中で、大型フェリーのエンジンが故障した事だ。台風で海が大きく荒れる中で、救助要請の信号が船から発せられたが、沿岸警備隊の救助は難航した。海が荒れて、波が大きく、近づけなかったからだ。
明けて6月23日午前、台風がフィリピン北部を北上する中、中部海域では捜索救助活動が再開された。
フィリピン人15人ほどの話では、フィリピンの沿岸警備隊の評判は悪くない。しかし、1998年から2000年ごろに海軍から独立したばかりで歴史の浅いフィリピン沿岸警備隊である。組織の若さから未熟な部分が、一部出てしまったのではないだろうかと私は思う。
この事故は、台風の多い日本にも決して無関係な事故ではない。
台風には長年の経験がある日本の海上保安庁は、異国の若い組織であるフィリピン沿岸警備隊の訓練や発展を助けてきた。多分、今回、日本の海上保安庁であったならば、もっと的確な判断をする事が出来たのではないだろうか。日本の海上保安庁は、台風による退避命令を拒否して沈没した外国船でも、助けた実績がある。
しかし今回、大型フェリーの沈没について、フィリピン側は米国に救助の援助要請を出したと言う。
もし、今後、仮に偶然に海上自衛隊や海上保安庁の関係者が艦船と一緒にフィリピンにいたとしたら、その時は、救助に関する何らかの決断をするのではないだろうか。それは、日本の艦船が世界中の何処にいても同じ事だ。
どんなに大きく立派な船でも、エンジンが故障して、台風で荒れた海に取り残されたらどうなるかの結果は、自明だ。
だから、どういう決断を下すのかが重要なのだ。
今回の大型フェリー沈没は、1954年9月に青函連絡船・洞爺丸が台風で転覆・沈没した事故と同じぐらいの惨事である。
(記者:谷口 滝也)
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