2008年06月22日(日) 13時53分
墓石にサクランボを埋めたのは誰?──太宰治没後60年の桜桃忌(オーマイニュース)
今月19日、作家・太宰治の生誕99年祭が出身地の青森県五所川原市(旧金木町)で行なわれた。この日は太宰が入水自殺をして遺体が玉川上水で発見された日でもあることから、東京都三鷹市の禅林寺では毎年、太宰を偲んでの桜桃忌が行われている。今年は没後60年ということで、普段の5倍近くの約500人が墓前を訪れた。
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墓地の入口には太宰治と森鴎外の墓の場所の説明がある。入口から中へはいると、墓参りを済ませたたくさんの人とすれ違った。墓の周りには、手を合わせる人や写真を撮る人、そしてなぜか、ただ立っているだけの人も多くいた。
蒸し蒸しした曇り空の下で墓の前に立つ人たちは、そこを立ち去るでもなく立ち話をしていた。いつまでたっても進めないので、人込みの隙間から墓前へと進んでいく。すると、先に「森林太郎の墓」があり、その斜め前に「太宰治の墓」があった。
本名である「津島家の墓」があり、その横に「太宰治の墓」が並んでいた。花がたむけられていて、果物やお酒などもお供えしてある……と、そこで不思議な光景を目にした。お供えのさくらんぼが「太宰治の墓」の字の部分に埋められているのだ。
太宰のファンではなく、何となく立ち寄った人がいたずら心を起こしたのかもしれない。しかし、それにしても目の前にはたくさんの太宰の墓に来た人がいる。なぜそこで立っている人たちがそのままにしておくのだろう。
とても奇妙に感じたので、その写真も撮って来た。あとからインターネットのニュースサイトで見たところ、住職らしい僧侶がそのさくらんぼが埋まった墓の前で読経をしている画像が載っていた。
戻ってくると斎場には入りきらないほどの人が溢れていて、太宰と同郷の作家である小野才八郎氏が、正調津軽弁で『雀こ』を朗読していた。これは太宰の初期の作品である。禅林寺は午前8時から日没まで墓所を開放していて、いつでも一般人が墓参りをすることができる。ほかにも、ゆかりの場所がたくさんあるので三鷹に来ることがあれば、ぜひ足を運んで文学散歩を楽しんでほしい。
(記者:みなみ 優)
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