2008年06月22日(日) 00時00分
<忘れない>時効まで2年 八王子スーパー強殺 悲劇の7月響く賛美歌(毎日新聞)
保育士をともに夢見ていた高校2年の矢吹恵さん(事件当時17歳)、前田寛美さん(同16歳)。介護福祉士を目指して勉強していた稲垣則子さん(同47歳)。凶弾が3人の未来を砕いた。2010年7月の公訴時効まで2年。29歳を迎え、それぞれの道を歩む同級生たちは、今も友を思い、遺族は犯人逮捕の連絡を待ち続ける。(1面参照)
矢吹さんの母校、私立桜美林高校(東京都町田市)では毎年7月、当時の学年主任、伊藤孝久教諭(57)と同級生約30人が集まって「矢吹恵 召天記念礼拝」を続けている。
「ああ平和よ。くしき平和よ。み神のたまえる くしき平和よ」。礼拝の最後に歌う賛美歌「531番」。矢吹さんは事件3週間前の95年7月上旬、修学旅行で沖縄へ行き、県南の戦跡「ガラビ(壕ごう)」の中で、クラスメートとこの賛美歌を歌った。
終戦前の米軍接近に伴い、収容されていた重傷兵が青酸カリや銃で殺害された壕−−。
<苦しんだ人たちのくやしさとか、悲しさや沖縄に対する思いがあるから、美しい沖縄ができたのだ。きっとこの体験は私にとって最初で、きっともう二度とないだろう>
原稿用紙4枚に手書きされた矢吹さんの感想文には、平和への願いがきちょうめんな文字でつづられている。
<戦争を自分の体で経験した人はもっともっと長く生きて、これから生まれてくる一人でも多くの子供たちに伝えていってほしい>
矢吹さんが沖縄から自宅におみやげに買ってきたハイビスカス。矢吹さん宅から株分けした同級生の会社員、鷹野めぐみさん(29)宅でも毎夏、真っ赤な花を咲かせている。
同級生たちで作る「銃器根絶を考える会」は、毎秋の高校文化祭で、銃の恐ろしさを訴える。鷹野さんは「たいしたことができずイライラすることもある。でも立ち止まってはいけない。こういう事件があり、こんなつらいことが起きる可能性があるから、銃に興味を持ったり人の命を軽くみてはいけないと伝えたい」と話す。
矢吹さん宅には、遺骨が今も置かれている。母恵美子さん(58)は「あの子は今もそばにいる。いた時と同じように生活している。犯人が捕まることだけが願いで生きています」と話した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080622-00000000-maiall-soci