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2008年06月20日(金) 12時59分

“援助ブーム”で潤う ダルフールの街角からCOURRiER Japon + hitomedia

土の道が次々と舗装されているエルファシェル市の道路は新車のタクシーでいっぱい。交通渋滞のせいで警察官が交通整理をしなければならないほどだ。オフィスビルの建設も進んでおり、家賃は月5000ドルにも達する。市内にはガソリンスタンドが3か所もでき、エアコンの効いたピザ屋も登場した。
同じダルフール地方には、民兵の襲撃を受けて焼かれた村や、ごみごみした難民キャンプがあるのに、どうしてこの街はこれほど繁栄しているのか。
「戦争経済ですよ」と語るのはエルファシェル大学で村落計画を講じているアブドゥルジャベル・アブデラ・ファドゥル教授。この街の経済は、もともとは自給自足型だったのだが、ダルフール紛争が勃発してから欧米の慈善団体がこの街に集まるようになり、お金が流れこむようになったという。
石油ブームならぬ“援助ブーム”と言えばいいだろうか。
街には海外の援助団体の職員が500人ほどいるほか、こうした援助団体からいい給料をもらって働く地元の住民も3000人ほどいる。国連とAU(アフリカ連合)の平和維持部隊もこの街を拠点にしている。
ダルフール地方では2003年から史上最悪の人道危機の一つといわれる紛争がいまも継続中。破壊された村落の数は数百に達し、20万〜30万人が疾病や飢餓で死亡した。家を追われた避難民の数は250万人に及ぶ。だが、北ダルフール州の州都でもあるエルファシェルは、さいわいにも戦闘に巻き込まれることを免(まぬが)れてきたのである。
「街の人は、ずいぶん商売気を出すようになりました。人生で初めてお金儲けができる機会に恵まれているんです」とこの街で暮らす経済アナリストは語る。
ハリル・アダム・アブドゥルカリムは3年前、ドイツの慈善団体の職員が自分の家のドアをノックしたときのことをはっきり覚えているという。月1100ドルという目の飛び出るような額で、家を貸してほしいと言われたからだ。彼は即座に自分の家を慈善団体に貸すことを承諾し、月150ドルの家に一家で移り住んだという。
彼は語る。「私たちの生活スタイルはずいぶん変わりました。でも、この街の好況は地方全体と切り離されているし、しっかりした開発計画もありません」
エジプト人のサミール・レファト(33)は、中国製の書棚やベッドを外国の援助団体の職員に売って大儲けをしているという。彼は家具屋とは別に食料品店も経営しており、そこでのいちばんの売れ筋はペットボトル入りの水だ。
「外国人はこれが大好きですからね。地元の人はペットボトルの水には目も向けませんよ」
だが、前出のファドゥル教授は、この好況の長期的な影響を懸念している。
「10年後に、ここがどうなっているか、本当に気がかりですよ。ダルフールの危機が終われば、このブームも終わってしまう。そのとき、この街はいったいどうなってしまうのでしょうか」

ロサンゼルス・タイムズ(USA)より。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080620-00000000-cou-int