2008年06月19日(木) 12時14分
東京・八重洲の語源、知ってましたか?(オーマイニュース)
東京駅八重洲の地下を歩いていたら銅像を見つけました。誰のものかと説明文を読んでいたら、次のように彫られていました。
“ヤン・ヨーステン記念像 オランダ(LPJプラート作)
ヤン・ヨーステンは和蘭(オランダ)人で、西暦1600年豊後の海で難破した和蘭船に乗っていた。そのまま日本に住みつき徳川家康の信任を得、外交や貿易について進言をする役目についた。その江戸屋敷は和田倉門外の堀端にあったので、後に彼の名にちなんで八代洲河岸と称さられ、さらに八重洲になった。ここに彼をしのんで記念碑を置く。(記念碑説明文より)
そこでさらに広辞苑(こうじえん)で調べてみたら次のように表記されていました。
オランダの船員・貿易家、1600年(慶長5年)帆船リーフデ号に乗り込んでW. アダムスらと共に豊後に漂着。徳川家康に用いられて江戸に居住(八重洲河岸の名はこれにちなむと言う。)シャム・コーチ・シナなどの貿易に活躍。南シナ海で難破しでき死。(広辞苑より)
つまり、ヤン・ヨーステンというオランダ人が乗っていたリーフデ号という船が、豊後(大分県)の海で難破して漂着し、この船に一緒に同乗していたのがウィリアム・アダムス(三浦按針)で、2人は徳川家康に仕えて外交や貿易、造船などに貢献したのだとか。
ヤン・ヨーステンが「ヤンスー」になり、それがヤエスになって「八重洲」になったと言われています。日本名は「耶揚子」というそうです。なお、ヤン・ヨーステンが難破した時に乗っていた船、リーフデ号の彫刻が、丸の内2丁目にあるそうですが、記者はこちらは未確認です。
(記者:松原 ただし)
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