2008年06月06日(金) 11時45分
「中年」がターゲットの新雑誌は成功するか?(オーマイニュース)
中年である。
誰が中年かといえば、私が中年である。自分で中年などと言う年齢になろうとは、ついこの前まで思わなかった。しかし、やはり人間である以上、生き長らえているうちに中年になってしまうのだ。
もてはやされる若者とも違えば、悠々自適な年金暮らしができるような年齢でもなく、毎日どこかしら小さな問題が起きる体をだましだまし、精いっぱい使って仕事をする。そんな年代。それが中年だ。
うれしいのか、悲しいのかわからないが、その中年向けに新雑誌が創刊されている。『新橋時間』(イーストプレス)で、定価680円。ヲジサンの昼飯代くらいの値段だ。どれ、買ってみるか。表紙にあるキャッチフレーズは「ちょいダメおやじを元気にする生活マガジン」。
よく見ると小さく「恋運暦5月号増刊」とあるが、恋運暦? ヲジサンには意味はよくわからない。
『新橋時間』を地で生きてきたと思われる現オーマイニュース社長の元木氏が毎回コラムで嘆くように、男性向けの雑誌や書籍は全体に売り上げが落ちこんでいる。特に週刊誌の落ち込みはすごいが、それ以上に月刊誌の落ち込みがすごい。すでに老舗の月刊雑誌がいくつもなくなっている。こんな状況下での新雑誌の「創刊」は、さぞかし大変なことだろう。
表紙は、夜の新橋駅前に立つ、おなじみの中年男、宮崎県知事・東国原氏。真ん中には『[特集]中年が、格差社会で蘇る方法』と大きな文字が躍る。
しかし、東国原知事の広い広い広い額が示す方向(表紙の右上部)には『[大特集]髪はまだ生きている』の文字があるではないか。知事のアタマにあてたレイアウトではないとは思うが、気になって仕方が無い。「特集」と「大特集」の違いがいまひとつわからないが、「髪」のほうが「生活」よりも気になる世代、ということであろうか。
この雑誌を本屋などで目にしたとき、「オレはまだ中年ではない!」とか「おれの髪の毛はまだ!」という思いが購入までの行動を邪魔するオジサンはきっと多い。
もしこの雑誌が売れないとしたら、その原因の1つはこの表紙であると確信する。手にしたとたん、「その人はヲジサン」というレッテルを社会全体から貼られてしまうような「恐怖」を味わうからだ。これがWebであれば、会社でも家庭でも、誰も見ていないところで開けるのになぁ、と思ってしまう。
表紙はともかく中身に進む。
この手の雑誌の定型として、まずは「名前の売れている人たち」ののたもうご宣託を聞くといういくつかの記事が最初に来る。真島茂樹(マツケンサンバの振り付け師)、川渕三郎(日本サッカー協会)、新田たつお(まんが家)が語る「ぼくらは中年をこんなふうに生きています」。ああ、そうですか。
記事のテーマは、(まじめな)セックス、うつ病、食べ物等々。そして、例の「髪」の記事。これは育毛から植毛、かつらに至るまで、大変に詳細にレポートしてある。気になる方は必見。保存版と言っても良い。
「うつ」の記事はマンガでの解説がわかりやすい。中年だけでなく若い人にも見せたい内容だ。「横須賀線で赤提灯を愛でる」という写真記事は、白黒ながら、横須賀線各駅の居酒屋の話題。なんとなく読み進んでしまう。
総じて、創刊号は「中年」にとって非常にシリアスな話題を真正面からかなり細かく扱っていて、面白く、かつ気軽に、そしてまじめに読める、というのが第一印象だ。
中年ともなれば、社会の深奥を知り、世慣れし、知識も経験も豊富にある世代だ。だから軽いノリの記事はバカにされたように感じるし、読み足りなくなる。読み物には詳細かつわかりやすいものが好まれる(と思う)。そういう意味で、『新橋時間』はその水準には一応達している、といってよいだろう。
しかし、繰り返すが、この雑誌の一番の問題は、ターゲット層が「書店で手に取りにくい」雑誌ということではないだろうか。
読みたいと思わせる表紙。しかし、手にとりにくいと思わせる表紙。
中年のヲジサンは、メタボだハゲだと揶揄されながら、それでもなお世間体を気にしながら生きているのである。『新橋時間』はまじめに作られた雑誌であればこそ、そこのところが、どうも惜しい気がする。
(記者:三田 典玄)
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