2008年06月06日(金) 11時43分
障がい者だって、健常者だって、同じやろ!(オーマイニュース)
CP(脳性麻痺)者として、どのような内容なのか、気になっていた映画『おそいひと』を観てきた。
上映前、上映館の発行しているリーフレットに書かれた、
『当たりまえなことだが障がい者がみんな「人格者」であろうはずがない』
という記載について議論するお客の話が聞こえ、やはり館主さんの紹介文は議論になるのだなぁとほくそ笑み、相対論的な『人格者』などどうでもよいと思うワタクシは久々の劇場鑑賞に映画以外の「ノイズ」が聞こえてくる面白さをまずは堪能した。
映画『おそいひと』は、公式サイトや主演者のサイトでも書かれているように、前半のドキュメントっぽい活写はユーモアもあり、主演・住田さんの酒好き、女好きの生活ぶりがみずみずしく描写されていた。やはり障がいがあり、住田の助言役である福永年久さんの言葉などもずっしりと重みが感じられた。
関西の障がい者解放運動については、雑誌『そよ風のように街に出よう』で映画を観る前からすでによく知ってはいた。作中、性問題の描写シーンなどでは、障がい者の性を赤裸々に綴った『ラブ』『私は女』を思い出しもした。
映画は、前半のドキュメントから後半へと進むにつれてドラマへとダイナミックに移っていく。そのとき、私は障がい者解放運動の生みの親である横塚晃一さんのドキュメント映画『さようならCP』を思い出し始めていた。障がい者が「見られる」コンプレックスに押し潰される事を描いた映画だ。
介護の女子大生・敦子が「普通に生まれたかった?」と聴くと「殺すぞ」とボイスマシーンで返答する住田さん。
だんだん敦子に夢中になる住田さんに、福永さんは「全部、受け入れるな。身体が参って、寝たきりになるぞ」と忠告する。
「見られる」立場の障がい者がカメラを構え、「見る」側に立とうとするとき、敦子の反撃はビデオを回して、住田さんを襲う。
「障がい者だって、同じやろ!」と叫ぶ敦子への住田の逆襲は、敦子にではなく社会に向かい、通り魔殺人となっていく。
鬱屈した殺人動機は、横塚晃一さんが解放運動を始めた横浜の障害児殺人事件で「同情の余地あり」と無罪放免された母に対し、「母よ! 殺すな!」と抗議活動はじめ、「障害者殺しの思想」を提示していったものの裏返しのようにも思われる。どんな状況にあるにせよ、殺人は罪とするエンディングまで緊張を引っ張っていく。
「障がい者だって、同じやろ!」は「健常者だって、同じやろ!」だろう。
障がい者だけの劇団「態変」のエキストラとしても活躍されたという住田さんはおそらくそこまで思っているだろう。
この映画は、完成した時、東京の映画祭でプレミア上映されたけど、「障害者に対する偏見や誤解を与える」、「差別を助長する」といったさまざまな批判が集中した。それが、世界各国で高い評価を受けたあと凱旋興業と相成ったわけである。この映画で、生身の障がい者を知るきっかけになればいいですね。
『人格者』ではないワタクシは、ひとつ年上の住田さんと自分の障がいを見比べ、身体障がいといっても身体の不自由さは違うのねと、人体の神秘を観察してしまったけれど。
(記者:亀井 貴也)
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