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2008年06月02日(月) 13時52分

ネパールが王制を廃止、連邦共和国にオーマイニュース

 現地時間で5月28日深夜、ネパールの制憲議会が「連邦共和制国家」への移行を宣言しました。王制を廃止し、「ネパール連邦共和国」の誕生です。共和制の導入により、足掛け240年続いたシャー王朝の支配は、最後の国王を務めたギャネンドラ氏をもって、終わることになりました。

 この日の深夜におよんだ制憲議会では、「主権国民のもの」「王族は一般人となる」「憲法を修正して大統領制を導入する」などがうたわれた「連邦共和制宣言」が、560対4の圧倒的多数で承認されました。

 今後のネパールは大統領と首相という、2人の指揮官の下に運営されることになります。ここで、これまでのシャー王朝の歩みを見ていきます。

 1768年。日本では江戸時代、徳川家治が幕府を取り仕切っていたこの年、プリトゥビ・ナラヤンがネパール全域を統一し、シャー王朝を中心とする王国を立ち上げました。

 その後1800年代前半のグルカ戦争で、シャー王朝はイギリスに3度負け、さらにイギリス軍に自国の兵士で構成する部隊、通称「グルカ兵」を提供する義務を負う羽目になるなど、ネパールはしばらくイギリスの保護下の時代を経験します。

 シャー王朝は長く絶対王政を続けましたが、1951年に立憲君主制に移行し、1990年には国民主権の憲法を制定します。しかし、90年代の後半になって、ネパール国軍率いる国王派とマオイストによる内戦が活発になり、国内は二分されるようになります。

 2001年6月1日、王族晩餐会の席上、当時皇太子だったディペンドラ氏が、自身の結婚に反対した当時の国王・ビレンドラ氏夫妻ら9人を相次いで射殺して、自らも命を絶つという事件が起こりました。

 その後アメリカで起きた同時多発テロに負けず劣らぬ衝撃的な殺人事件の後、ギャネンドラ氏が国王になり議会は停止。ネパールはかつてない混乱状態に陥ります。

 ギャネンドラ氏はその後も再び議会を停止し、2005年には戒厳令を出してまで絶対王政を復活させましたが、翌年には首相の推薦を国内の各政党に依頼し、軍とマオイストの内戦が終わります。

 そしてこれまでの下院が決めた暫定憲法に従って、制憲議会の前身・暫定議会が生まれ、連邦共和制への移行が宣言されました。

 ギャネンドラ氏が国王から一般人になるとともに、国王が長年軍を率いてきたネパールでは、マオイストが率いるもう1つの軍隊「人民解放軍」をどうするかという、厄介な問題が持ち上がっています。

 私は同じ国に2つも軍はいらないと思っています。ですからネパールの指導者には、時間を掛けてでも、1つの軍隊にまとめてほしいと考えています。

(記者:河村 崇)

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