アクセスの村上元社長はかつて、成功を手にした起業家として新聞や雑誌にたびたび登場していた。「派手好きで、大きな仕事を狙っていた。それが裏目に出て、ITバブル崩壊後は赤字を増やしてしまった」と関係者はみる。
大阪市にブロンズ像を贈り、当時の関淳一助役(左)と一緒に除幕するアクセスの村上次男・元社長=03年9月、同市中央区道修町3丁目京都府出身。コンピューター会社勤務を経て83年、消費者金融大手だったレイク(現GEコンシューマー・ファイナンス)に入った。取締役、子会社の社長を務めた後、94年7月にアクセスを創業。株の店頭公開で多額の創業者利益を得た98年には約2億5千万円を納税し、近畿で12位の高額納税者になった。
オフィスは大阪市中央区の賃貸ビルにあったが、03年1月、同区の御堂筋沿いに14階建ての自社ビルを新築し、隣接するビルも買収。同年9月、御堂筋に彫刻を設置する大阪市の事業に協力して少女のブロンズ像を贈り、羽振りの良さを見せていた。
だが、同社は02年3月期から赤字に転落。額は8億円、10億円、27億円と年々膨らんだ。社内には「3割の株を握るワンマン社長の指示で大口案件を狙い、次々に失敗した結果だ」との声もあった。
粉飾があったとされるのは05年3月期決算。当時の会計担当役員だった北・前社長は今月初めに朝日新聞の取材に応じ、村上元社長の指示で粉飾に関与したことを認めた。「4期連続赤字だと融資を受けるのが難しくなると思った。当時の村上社長から黒字にしろと指示され、『前倒し計上でやりますか』と判断を仰いだら、『それでいけ』と言われた」
業績が好転しないまま、村上元社長は06年8月に「健康上の理由」で辞任。その後、二つの自社ビルは赤字を埋め合わせるため計114億円で売却された。