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2008年05月22日(木) 00時00分

万葉集成立前?に万葉集収録の歌を書いた木簡が出土朝日新聞

 滋賀県甲賀市教委は22日、奈良時代に聖武天皇が造営した紫香楽宮(しがらきのみや)跡とされる同市信楽町の宮町遺跡(8世紀中ごろ)から、国内最古の歌集の万葉集の歌が書かれた木簡が見つかったと発表した。万葉集収録の歌が木簡で確認されたのは初めて。出土した他の木簡に記載された年号から、この歌が収められた万葉集16巻の成立(750年前後)より数年から十数年前に墨で書かれたとみられる。

   万葉集の歌などが記された木簡=滋賀県甲賀市、諫山卓弥撮影   

 木簡は上下二つに分かれて出土し、上部は長さ7.9センチ、下部は14センチ、いずれも幅2.2センチ、厚さ1ミリ。上部の片側には漢字1字で1音を表記する万葉仮名で「阿佐可夜(あさかや)」、下部には「流夜真(るやま)」と書かれている。万葉集16巻には、陸奥国に派遣された葛城王をもてなした前(さき)の采女(うねめ)(元の女官)が、王の心を解きほぐすため宴席で詠んだ「安積香山(あさかやま)影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに」が収録されている。

 反対側の面にも「奈迩波ツ尓(なにはつに)」「夜己能波(やこのは)」「由己(ゆご)」とあり、10世紀初めの平安時代に編さんされた古今和歌集収録の「難波津(なにはつ)に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」の一部とみられる。「難波津」の歌が書かれた木簡は奈良県の平城宮跡などで見つかっている。

 この2首の歌について紀貫之は古今和歌集の仮名序(905年)で「歌の父母のやうにてぞ手習ふ人の初めにもしける」と、初心者が最初に習う一対の歌として紹介している。2首を手本とする考え方はその150年前から存在していたといえそうだ。

木簡の元の長さは文字の大きさから約60センチと推定。宮廷の儀式や歌会などで用いられた可能性が高いとみている。

 市教委は25日午後1時から同市内の信楽中央公民館で報告会を開き、木簡を展示する。定員150人(先着順)。26〜30日にも同市内の宮町多目的集会施設で展示する。いずれも無料。

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 「安積香山(あさかやま) 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を 我が思はなくに」(安積香山の影までも見える澄んだ山の井のような浅い心では私は思っていないのです)=小学館の「日本古典文学全集」などから

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 「難波津(なにはつ)に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」(難波津に梅の花が咲いています。今こそ春が来たと、梅の花が咲いています)=小学館の「新編日本古典文学全集」などから

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 〈上野誠・奈良大教授(万葉文化論)の話〉 万葉集の原本は見つかっておらず、これまでの研究はいわば写本の比較にとどまっていた。今回の発見は、人々の間に広まっていた歌が書き記され、歌集になるという万葉集の一連の成立過程を明らかにする上で極めて重要な発見だ。

http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK200805220108.html