【都江堰(とこうえん)(中国四川省)=小山謙太郎】四川大地震から7日目の18日、避難所で生活する被災者は四川省全体で456万人まで膨らんだ。人口60万の都江堰市では、余震被害の恐れから帰宅が許されていない。山間部の被災者も次々に山を下りてきた。避難所への人の流れは増える一方だ。
震源地付近の地図
家財道具を背負って家族とテント村を目指す少年。余震が恐ろしく山の上から6時間かけて避難してきたという=18日午後、四川省彭州、中田徹撮影
中国四川省綿竹で17日、屋外に集まって休む被災者ら=ロイター
中国四川省綿陽で18日、競技場内に設置された避難所のテント=ロイター
都江堰市内の表通りから裏のアパート街に回ると、ビルの解体工事が始まっていた。重機の音が鳴り響く中で突然、怒鳴り声が聞こえた。
「どうしても自分の部屋に戻らなきゃいけないのよ」
「危ないからだめだ」
避難所からやって来た夫婦と解体現場を守る警備担当者らが、押し問答している。
「娘の戸籍証明書を取りに戻らないと、死亡確認をしてもらえないのよ!」
母親の呂静さん(32)がしゃくり上げながら叫ぶと、その場は静まりかえった。小学2年の一人娘が崩れた校舎の下で見つかり、この日火葬に付された。地震の翌日が8歳の誕生日だった。「娘も家も失った。先のことは何も考えられない」
市民は安全確認がすむまで家に戻れず、市内27カ所の避難所や道路脇に自ら張ったテントに寝泊まりする。
避難所の一つ、四川農業大学分校。体育館のほか、400メートルトラックとバスケットコート2面の運動場に、420張りのテントが立ち並ぶ。
交通の復旧にあわせて、山間部からも被災者が次々と下りてきている。
体育館では、震源に近いブンセン県映秀を一人で脱出してきた何立元さん(77)が布団に横たわっていた。つえをつきながらがけ崩れを越え、ダム湖を船でわたって、8時間かけてたどりついた。娘は行方不明の孫娘の元を離れられないと、とどまったままだ。何さんは「ここで長くは暮らせない。でも、家を再建する金もない」とため息をついた。
水や温かい食事が配られ、医師が毎日、聴診器を当てていく。学生ボランティアは清掃作業。ようやく、態勢が整った。
ただ、夕方、街に出ていた被災者が戻ってくると、夜を越す人は9千人。これ以上受け入れる余裕はない。都江堰市は避難所から成都行きのバスを連日運行し、すでに1万人を超す被災者を移送した。
新たな避難所づくりも始まっている。市中央部の空き地に600張りのテントが設置され、入居を希望する人が列を作っていた。
市政府はテント村の設置期限を2週間と決めた。だがその後、住民が住まいを見つけられるのか。テント村の市職員は「全員は難しい」と即座に首を横に振った。
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