硫化水素を使った自殺の連鎖が止まらない。ネット上で全国に広まり、各地で家族や近隣住民が巻き添えになる「脅威」を前に、警察や消防、関係業界などが対策に本腰を上げ始めた。他人を含む命の尊厳をどう伝えていくか。社会の取り組みがいま、問われている。
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家庭用洗剤などを使って硫化水素を発生させる自殺は、昨年3月に初めて確認され、インターネットなどで詳細な方法が紹介された。今年に入って徐々に増え始め、4月は表面化しただけで59人が死亡。自殺者の大半は10〜30代が占める。
厚生労働省は25日、日本薬剤師会など4団体に対し、混ぜると硫化水素が出る洗剤などを同時に買おうとする客に使用目的を尋ねるとともに身元確認を行い、不審な場合は販売しないよう求めた。全国医薬品小売商業組合連合会は該当商品の販売自粛について検討を始めた。
製造元は思わぬ事態に困惑を隠さない。あるメーカーの担当者は「商品は長年販売していて愛用者も多い。誤用しなければ有毒ではないのに」と頭を痛める。
創業以来約100年、該当商品が主力だった中小メーカーは「値上げもせずにやってきたのに、このままでは死活問題に追い込まれる。自殺方法を書いているネットには怒りを覚える」。商品の成分を変えるには多額の費用がかかるため難しいといい、今月末、「他のものとは絶対に混ぜないでください」と書かれた赤字の注意表記を張った。幹部社員は「逆に混合を誘発しかねないと迷ったが、現状を考えて苦渋の決断をした」と話す。
ネット業界では自主規制の動きも出始めた。ネット通販大手「アマゾン・ジャパン」のサイトにはこれまで、特定の洗剤名を検索すると、自殺マニュアル本が表示されていたが、「自殺を誘発している」と指摘され、今月中旬、洗剤などの販売を休止した。約2万3千店舗がネット上に出店する「楽天市場」でも、洗剤などの取り扱いを中止する店舗が出ているという。
プロバイダー大手「ニフティ」は、警察などから具体的な情報があった場合に限り、掲載者に記述の再考を促すメールを送っている。担当者は「表現や通信の自由を尊重する必要もある。一方的に削除できない」。匿名掲示板では、規制逃れのために洗剤の商品名の一部を別の文字に置き換える書き込みもあり、「いたちごっこ」が続く。
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発生時、真っ先に現場に駆けつけるのは警察と消防だ。警察庁は住民の避難誘導の徹底や、警察官が被害に遭わないための装備の有効利用について各都道府県警に指示した。今月23日、中学生の自殺で住民14人が入院した事案に対処した高知県警には、他県警から問い合わせが相次ぐ。
「卵が腐ったにおいがした時は慌てて現場に入らないように」。28日朝、大阪府警和泉署の朝礼で安倍俊之・総務課長が報告した。同署は実際に使われている薬剤を購入し、独特のにおいを署員に体験させている。
広島県警は硫化水素を使った犯罪やテロへの警戒を強める。各署には「必要な場合は機動隊に応援を要請すること」などと文書で通知した。滋賀県警は県内のホテルで今月24日に客が自殺したのを受けて、「空気より重く拡散しにくい」など、硫化水素の特徴を示したチラシを宿泊施設などに配布。和歌山県警は14署にガスマスクを配備した。
一方、大阪市消防局は、防護法や避難方法など現場指揮者の留意点をまとめた文書を作成し、化学災害救助隊が各署をまわって説明会を実施している。兵庫県消防課は「風上など安全な側から進入する」などの注意点を県内の消防本部などに連絡した。
国立精神・神経センターの自殺予防総合対策センター(東京)は25日、緊急メッセージをホームページ上に出した。「自殺手段を入手しようとしている人」に対し、「まず家族や友人、相談機関に電話をして、あなたの気持ちを話してください」と呼びかける。竹島正・同センター長は「現在の危機的状態を改善するには、家族や関係企業、サイト運営者ら社会全体が取り組む必要がある」と訴える。
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■悩んだときの相談窓口(時間は受付時間)
関西いのちの電話(06・6309・1121)=24時間
大阪自殺防止センター(06・4395・4343)=24時間
多重債務による自死をなくす会(080・6159・4730、同4733、同4741)=午前9時〜午後8時