2008年04月28日(月) 10時23分
本村さんへ宛てた被告からの手紙の内容は?(オーマイニュース)
『いいえ、手紙の開封は生涯しないと思います』
これは、判決後の記者会見で、被害者遺族の本村洋さんが記者からの「被告から受け取った反省文は開封するのか」という質問に答えた言葉である(4月22日毎日新聞)。
山口県光市で起きた母子殺害事件の判決が22日、広島高裁で言い渡された。予想通りというべきか、一審の無期懲役判決を翻し、極刑である死刑判決が下された。
予想通りというのは、この裁判は、一審判決同様、無期懲役とした二審判決を不服とした上告を受けた最高裁が、「広島高裁判決が量刑不当で正義に反する」として広島高裁へ差し戻して行われた控訴審だからである。
差し戻し控訴審で、弁護側は一、二審の法廷戦術から大胆な転換を図った。私は、弁護側の採ったこの選択は、決して間違いではなかったと思う。
というのも、少なくとも一、二審では、弁護側のとった戦術が功を奏し、被告は無期懲役に収まった。だが、今裁判は、最高裁が二審の判決を「量刑が不当で、正義に反する」として、広島高裁へ差し戻しを命じた控訴審である。このような由来から言って、一、二審での戦術は到底通用するはずもなく、弁護団が戦術を転換するのは当然の帰結であった。
転換された戦術とは、被告の殺意自体を否定し、強姦が母性への回帰現象の発現ということを立証するために、被告の内面の未熟さを前面に打ち出すということだった。
例えばそれは、被害者を母になぞらえた母性回帰ストーリーだったり、はたまた、ドラえもんや復活の儀式などだった。
だが、結果的にこのことが、裁判官には「罪に向き合うことなく、死刑を免れようとして供述を一変させた」と映った。弁護側の法廷戦術が、逆に裁判官の心証を悪くしてしまったのだ。
つまり、一審、二審で反省の情が芽生えつつあり、更生の余地があるとされた被告だが、今回の控訴審では、その新供述が不自然、不合理であるばかりか、「虚偽の弁解を弄したことは改善更生の可能性を大きく減殺した」とまで言わしめた。要するに、新供述が被告の反省の情がない証拠と判断されたのだ。
犯行当時、18歳1カ月だった被告にとって、反省の情の有無や、強弱は量刑に大きな意味を持っている。現に、一、二審では被告の犯行時の年齢や反省の情の芽生えなどを考慮して、無期懲役となった。それが、今控訴審では新供述が死刑を免れるための虚偽の弁解と採られ、反省・謝罪には程遠いと断じられたのだ。
結果的に弁護側の敗因は、戦術の転換によって少年犯罪の要諦である、更生という観点までが葬り去られた点にある。
ただ、仮に、この供述の転換が被告自身から出たものであれば自業自得ということになるが、仮に弁護側から出たものであれば、被告は反省の情を遺族に伝える機会を失ったことになる。少年犯罪を裁く裁判においては、被告の反省や謝罪が判決文の行方に大きな意味を持つ。だから、仮に一連の供述が被告の心情に反するものであったなら、被告や遺族の将来に禍根を残すことにもなる。
冒頭の言葉は、被告が昨年(2007)年12月に本村さんへ宛てた手紙に対する記者からの質問に答えたものだが、報道によると、この手紙は本村さんに対する被告の反省、謝罪文だと言われている。
今となっては、この手紙に書かれているとされる被告の心情は知る由もない。
(記者:藤原 文隆)
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