「まさか……」。武蔵野美大講師、松本夏樹さん(55)は古ぼけた紙の筒を手にした時、心臓がドクンドクンと波打つのを感じた。筒には大正時代の古いフィルムが収まっている。フタの表には『なまくら刀』と記されていた。
昨年夏、四天王寺(大阪市)境内の骨董(こっとう)市。東京ドームの2倍以上の広さを誇る敷地に、露店がところ狭しと並ぶ。時代物の西洋人形や傷だらけの柱時計、古ダンス……。紙筒状のフィルムケースは、その中に埋もれるように無造作に置いてあった。
『なまくら刀』は1917年6月、劇場で公開された国産の短編アニメ。切れない刀を買わされた武士が飛脚らを相手に試し切りしようとするが、逆に打ち負かされる。2分。日本のアニメ映画創始者の一人、幸内純一の作品だ。
「本物かも」。アニメ史に詳しい松本さんは、ふるえる手を抑えながら、古物商の男に代金を支払う。自宅に戻ると、フィルムを取り出し一コマ一コマ目で追う。同時に当時の雑誌をめくり、映画評通りの内容であることを確かめた。
「アニメ史の源流に迫るモノが見つかりました」。電話の相手は、東京国立近代美術館フィルムセンター(中央区)の研究員、板倉史明さん(33)。「すぐに大阪まで取りに行きます」。板倉さんの声もうわずった。
なんと、フィルムにはうっすらと黄色く色がついていた。国産映画がカラーフィルムになったのは、『なまくら刀』が作られて数十年後。黒沢映画も、アトムも、最初はモノクロだった。どうしてかって? それを松本さんらが突き止めたのだった。
■幸内純一(1886〜1970)■ 岡山県出身。水彩画を学び、30代でアニメ制作に入る。『なまくら刀』は第1作。3作目に作った『茶目(ちゃめ)坊空気銃の巻』は、子どもにいたずらを教えると検閲に指摘され、公開禁止に。