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2008年04月04日(金) 00時00分

鈴香被告の言葉読売新聞

反省と謝罪 侮辱も

 「1年半前の自分とは違います。米山さんにどれだけ変わったかを見てほしい。米山さんに見ていただいて、感情を少しでも和らいでくれたらと思います」

 昨年9月12日の初公判。畠山鈴香被告(35)は、罪状認否で突然、手紙を読み出し、米山豪憲君(当時7歳)の両親に“改心”した言葉を述べた。

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 鈴香被告は、2006年5月18日に豪憲君の遺体が発見された直後には、豪憲君の父勝弘さん(41)あてにこんな手紙を書いていた。

 「彩香がいなくなったときに励ましてくれたのに、何もしてあげられなくてごめんなさい。突然幼い命が消えて苦しいですね。頑張りましょう」

 さらに鈴香被告は、遺体発見から3日後に行われた豪憲君の葬儀の後、米山さん方に電話をかけ、豪憲君の母真智子さん(41)にも「お互いに小さい子供を亡くして大変ですが、頑張っていきましょう」と話した。

 勝弘さんは公判で、「(鈴香被告は)私たちをバカにしてせせら笑っていたと思う」と憤った。

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 鈴香被告は06年6月4日に豪憲君に対する死体遺棄容疑で逮捕されると、一転、豪憲君の遺族らにあてた手紙に謝罪と反省の言葉を書き連ねた。手紙は9月から公判が始まる前の07年5月まで10通余りに及んだ。その中で鈴香被告は、米山家に対する羨望(せんぼう)があったとも記している。

 〈米山さんご一家は、私にとって理想の家庭でした。すごく温かくて、うらやましく感じていました。いつもお父さんがおうちにいて、夕方などは家族皆で家の前で仲良く遊んでいましたね。夜マラソンの練習でお父さん、豪憲君(と兄)の3人で走っていたのを覚えています〉(9月17日)

 〈私は米山さんの子育ての仕方を見て大変驚きました〉〈私にはとてもまねできない完璧(かんぺき)な子育てだと思いました〉(12月11日)

 その一方で、こうも書いた。

 〈私はまだ死ぬわけにいかない〉〈米山さんは少しは気が済むのかもしれませんが、怒りや憎しみといった感情をぶつける相手がいなくなります〉〈これからどんな刑が決まるか分かりませんが、私の罪は一生背負っていくものだと思っています〉(同日)

 勝弘さんは手紙の封を切らずに検察官に渡していたが、公判中に検察官から手紙の中身を見せられた。

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 そして、鈴香被告は公判中につけていた日記に、豪憲君の遺族の感情を逆なでするような内容をつづった。

 〈豪憲君に対して後悔とか反省はしているけれども悪いことをした。罪悪感というものが彩香に比べてほとんどない。ご両親にしても何でそんなに怒っているのかわからない。まだ2人も子供がいるじゃない。私とは正反対だ。よかれと思って何かしても裏目裏目に出てしまった。正反対の人生を歩いてうらやましい〉(10月21日)

 10日後の公判で鈴香被告は「米山さんが望む通りの刑を望みます」と語り、検察側がその後の公判で、日記の記述を明らかにすると、「勢いで書いてしまった」と釈明した。

 勝弘さんは1審終了後、「でたらめな反論をしたり、うそをついたり、日記が公開されたりするつらさというのは、本当に表現できない」と唇をかんだ。

 反省、謝罪、侮辱……。事件後、言葉を二転三転させた鈴香被告。控訴審ではどんな言葉を述べるのだろうか。

 ◎連載はいったん休み、月内に続きを掲載します

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/feature/akita1206076020175_02/news/20080404-OYT8T00086.htm