「発展途上国のために、力を貸して下さい」。1991年夏、杉並アニメーションミュージアム館長、鈴木伸一さん(74)はこんな依頼を受けた。
ユネスコ・アジア文化センターが企画したアニメ『アジアの昔話』の打ち合わせをする会合でのこと。声の主は同センターに勤めていた田島伸二さん(60)。このアニメは、発展途上国のアニメーター養成を狙って作られたが、田島さんの次の目標はもっと踏み込んだものだった。「世界に8億人いる読み書きできない人のために、啓発アニメが作れないでしょうか」と鈴木さんの手を握りしめた。
「ぼくで良かったら」。鈴木さんはその場で快諾した。大ヒットした『笑ゥせぇるすまん』の監修で、仕事は分刻みのスケジュールだったが、ためらいはない。子供たちが教室で本を開き、元気に声を出す光景が頭に浮かんだ。
原案は田島さんが作った。東南アジアの農村が舞台。農作業中に胸を押さえて倒れた夫を救おうと、妻ミナは薬を探す。しかし、ビンのラベルの字が読めないために危うく殺虫剤を飲ませそうになる。バスにも乗れなかったりと、読み書きできないゆえの困難に直面して、ミナは字を勉強し始める。
タイトルは『ミナの笑顔』。キャラクターのデザインは、マレーシアの国民的な漫画家で、東南アジアの手塚治虫と呼ばれるラットさんが担当することに。その絵を動かすのが鈴木さんの役目だ。声はアグネス・チャンさん。アジアをまたにかけたプロジェクトは動き出す。
ところが、スタッフの前にはすぐに、思わぬ困難が立ちふさがることに……。