畠山鈴香被告(35)が公判中につけた日記に「たった3人のためだけに生きていたい」と書いた母、弟、元恋人の男性。しかし、鈴香被告が2006年4月に長女彩香ちゃん(当時9歳)事件を起こす前、被告とこの3人との関係に確執が生じていた。さらに被告には生活保護を受けるなかで、父の看病によるストレスがのしかかっていた。
鈴香被告は離婚後、03年1月にパチンコ店の仕事を辞めてから無職になった。車のローンなどで約370万円の借金があった鈴香被告はその直後に自己破産し、03年9月から生活保護を受給し始めた。鈴香被告は公判で、生活保護を受けることに引け目を感じていたと述べている。
仕事をしていたときは、彩香ちゃんの世話をほぼ実家に任せていたが、無職になり彩香ちゃんを実家に預ける口実がなくなり、知人らに「愛したいけど愛せない」と話していた彩香ちゃんと一緒にいる時間が増えた。仕事を探しても、母から「仕事をするなら、その間、彩香はどうするのか。預からないよ」と言われていた。
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公判での関係者の証言によると、05年5月、鈴香被告は、大量の睡眠薬を飲み、自殺未遂を図った。弟はそのころ、鈴香被告から「生活保護をもらっている状況が嫌で、それを変えるために1人でやり直したい。東京に行きたい」と相談されていた。
その年9月に鈴香被告の父が病気で倒れ、入院。仕事をしていなかった鈴香被告が看病するようになった。前年にホームヘルパー2級の資格を取った被告は看病にやりがいを感じていたこともあったが、父が薬を飲まないことなどで病院から呼び出され、いらだちを募らせていった。
12月には、鈴香被告が弟の知人をめぐって弟と大げんかした。同じころ、母からは実家に灯油代など生活費を入れるように言われ、実家へ行く頻度が極端に減った。
06年1月、入院していた父の財布がなくなり、父は「鈴香がやった」と決めつけた。鈴香被告は公判で「精いっぱい介護したのに、情けない。昔のようにしか見てもらえないと思った」と打ち明けた。
親族によると、父は、一時退院して実家で食事をした際、配膳(はいぜん)をした鈴香被告が父のはしを間違えたことに怒り、手元にあったはし立てを被告に投げつけたこともあったという。
検察側が明らかにしたカルテによると、鈴香被告は当時、通っていた精神科医に「年末年始は最悪だった。父はささいなことに文句をつけてくるのでつらかった。腹立たしいことが続いた」「病院から電話が来たり父から電話が来たり、家にいてもゆっくりできない」と相談している。
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当時、家族だけでなく、交際していた男性との関係もしっくりいっていなかった。
06年3月、男性には「1人で看病するのはつらい。お母さんや家族が手伝ってくれたらいいのに」と愚痴をこぼしてもいた。
しかし、3月25日に、男性からパチンコで借りた金を返すよう求められ、男性からメールが来ないようにアドレスを変更。4月9日午前0時ごろ、鈴香被告は男性に電話して「おごるよ」と食事に誘ったが、気のない返事だったことに、「来なくていい」と激しい口調で怒り、電話を切った。その前には、父のことで病院から呼び出され婦長から注意されていた。電話の後、睡眠薬を飲んで就寝。9日昼過ぎに、目を覚ました。
そして、その夕方、彩香ちゃんは藤里町の大沢橋の欄干から転落し、翌日、遺体で見つかった。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/feature/akita1206076020175_02/news/20080401-OYT8T00106.htm