昨年10月31日の第6回公判の被告人質問。畠山鈴香被告(35)は、弁護士から殺害した米山豪憲君(当時7歳)について「償いの方法は何か考えているか?」と問われ、こう答えた。
「米山さんが望むとおりの刑を望みます」
さらに弁護士から「生きなければならないと以前書いていたが?」と質問されると、「極刑にしてほしいという気持ちに変わりました」と話した。
傍聴していた記者たちは、一報を伝えに廷外へと駆け出した。翌日の読売新聞は朝刊社会面で「『極刑をのぞみます』畠山被告」の見出しで記事を掲載し、各紙も一斉に「畠山被告『極刑を』」などと報じた。
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鈴香被告を「死」に向かわせたものは何だったのだろうか。
元恋人の男性が10月1日の第3回公判で、鈴香被告が彩香ちゃん(当時9歳)を邪険にしていたなどと証言した後、鈴香被告の心は激しく動揺した。鈴香被告はその翌日、公判中につけた日記にこう書いている。
〈昨日の公判は散々でした。自分でもよく泣かずにそんなの違うじゃないと言わないで我慢したと思います〉〈手でシッと犬をふり払うようなしぐさをしていたとも言われました〉〈一番信じていた他人に裏切られた〉
10月5日には男性への思いを一気に書き連ねた。
〈気が付くと彼氏いえ元彼氏のことばかり考えています。苦しくて涙が出そうになります。自分でもこんなに好きだったのかと今更ながらに思います〉
“失恋”のつらさを吐露しながら、スキーやバドミントン、カラオケ、パチンコ、本屋巡りを一緒にしたこと、彩香ちゃんの長期休みにねだって3人で男鹿の水族館へ行ったことなど、「7年も一緒にいたのはあなただけだった」と楽しかった日々を振り返った。
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鈴香被告はその翌日、「死刑」という言葉を初めて日記に書き、それ以降、死を願う記述を繰り返す。
〈死にたいよ。死刑になってもいい。つらい……。死刑になりたい〉(10月6日)。〈これ以上生きていくのはつらく苦しい。私は死刑を願っています。強く強く〉〈死刑になり楽になりたいのです。重くてつらくて苦しくて耐えられない。残していく母と弟には申し訳ないけど楽になりたい〉(10月10日)
10月18日の精神科医の診察日につづった日記で、その理由を自ら明かしている。
〈Dr(医師)に「死にたい。自殺したいんじゃなくて死刑になりたい」と言ったら、「原因は何ですか?」と言われ、「証言に立った人たちの言葉が重くてつらくてキツイ」と話しました〉
さらに鈴香被告は、医師から「その中の誰のどんな言葉がキツかったですか」と質問され、「元彼氏」と答えたと記している。
そして10月31日の第6回公判で「極刑」を口にした。
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だが、その後、鈴香被告は日記に「傷付いています。もう裁判なんてどうでもいいとさえ思っています。人のぬくもりを感じたい。今すぐ家族の元へ帰れなければ死を選びたい」(11月6日)、「人恋しい。母さんや弟と話がしたい。死にたい。死なせてほしい」(同7日)と、「死」を願いつつ、家族の元へ帰って話がしたいともつづっている。
鈴香被告について、影山任佐(じんすけ)・東工大教授(犯罪精神医学)は「心の振幅がものすごく大きい。判断が極端から極端に揺れ動く」と指摘したうえで、こう分析する。
「仮に社会に戻った場合、一緒に暮らせると期待していたふしもある交際相手への様々な思い込みが、突如断たれて生きる支えを失い、絶望感から死という発想に直結したのではないか」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/feature/akita1206076020175_02/news/20080329-OYT8T00116.htm