畠山鈴香被告(35)と元夫は藤里町の朝日ヶ丘団地に引っ越し、結婚から2年半後の1996年11月、長女彩香ちゃんが誕生した。鈴香被告はほとんど掃除をせず、部屋は足の踏み場もないほど散らかっていた。
元夫は昨年10月1日の第3回公判で、鈴香被告について、「家事ができないような病気はない。面倒なことをやりたくなかったのだろう。不満は言った。強く言うとケンカになった。子供が生まれたら部屋をきれいにしてくれると期待していた」と批判した。
鈴香被告は10月25日の第5回公判で、「掃除は小さいころから苦手で、どこに何を片付ければいいのかわからなくてできなかった」と述べ、掃除をしなかったことは認めたが、洗濯や弁当作りはやったと説明。彩香ちゃんへの育児については、「元夫はミルクをあげることも、お風呂に入れることもなかった。おむつ交換も全部、私がやった。できない時は母や弟が手伝った。育児は父、母、弟、私の4人でやっていた感じ」と語った。
元夫は、おぼれさせたら怖いので風呂には入れず、仕事で疲れて帰ってきたときはおむつ交換を頼まれてもやらなかったという。
鈴香被告が家族に頼りながら育児をした彩香ちゃんが生後6か月を迎えた97年の大型連休のころ、元夫は家を出ていった。
元夫は、鈴香被告が家事をほとんどせず、小遣いをくれず、気性が激しいことを理由に挙げ、脇腹をけり合う大げんかをしたことも証言した。
97年6月、調停の末、離婚が成立した。
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彩香ちゃんの親権は鈴香被告が得た。元夫は、離婚後まもなく、毎月2万5000円の彩香ちゃんへの養育費を払わなくなった。けがをして仕事が途絶えるなどしたためという。
離婚後、元夫は彩香ちゃんに会うことはなかった。手紙やプレゼントも贈らなかった。彩香ちゃんに会うために鈴香被告に連絡するのが嫌だったという。だが、昨年10月1日の公判では、彩香ちゃんへのこんな思いを明らかにした。
「彩香の親権を取り戻したいと思ったことはある。2〜3歳の時。彩香がほとんど実家に預けられているし、鈴香の家に男が何人も行ったり来たりしていて、見捨てるならおれが育てたいと弁護士に相談した」
元夫は、離婚後に再婚した相手が彩香ちゃんを引き取ることを了解したため、弁護士に相談したが、「(鈴香被告に)虐待などの事実がない限り、引き取るのは難しい」と言われ、あきらめたという。
そして、元夫はこうも悔やんだ。「鈴香に会うのが嫌というくだらないプライドを捨てて、(彩香ちゃんに)会えばよかった」
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元夫が法廷で証言した1週間後、鈴香被告は夢を見た。公判中につけた日記に、こう書いている。
〈10月8日 今朝、彩香の夢を見ました。
元夫の言葉「2歳の時、本気で引き取ろうと思った」が頭にあったからかもしれません。夢の中の元夫は、月に何度も会いに来て、私には買ってあげられない高価な服、おもちゃ、ゲームを毎回のように買い与えて、彩香もうれしそうにしていて会うのを楽しみにしている。元夫は言葉にこそ出さずとも、彩香を引き取りたがっています。
私は彩香を手元に置いておきたい反面、彩香が楽しそうに待っていて、元夫と暮らした方がいいのではないかと悩んでいるという夢でした〉
彩香ちゃんの姿を重ね、元夫への未練をつづった鈴香被告。だが、10月29日の第5回公判では、彩香ちゃんに養育費を払わなくなった元夫を非難した。「元夫の意識の中では、彩香は自分の子供ではないんだなと思った。連絡がないことがいらだたしかった。(元夫は)私とは血はつながっていないが、彩香とはつながっている。七五三や入学式とかに会ってほしかった」
わずか3年で、結婚生活は終わった。その3年後、鈴香被告は勤務先で年下の男性と出会う。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/feature/akita1206076020175_02/news/20080326-OYT8T00789.htm