畠山鈴香被告(35)が公判中につづった日記には、2人の男性が登場する。1人は長女彩香ちゃん(当時9歳)の父親で離婚した元夫、もう1人は離婚後、7年間交際した元恋人だ。鈴香被告は日記で2人に対する複雑な「女心」をのぞかせている。
まずは元夫との出会いから結婚生活を、昨年10月1日の第3回公判での元夫の証言と、10月29日の第5回公判での鈴香被告の証言をもとにひもといてみたい。
鈴香被告は高校卒業後、栃木県藤原町(現日光市)の川治(かわじ)温泉でコンパニオンの仕事をした後、二ツ井町(現能代市)の実家に戻った。当時20歳だった鈴香被告は1993年、幼なじみの女性と2人で能代市の落合浜に遊びに出かけ、2人組の男性に声をかけた。いわゆる“逆ナンパ”だ。2人組の1人が元夫だった。
身長1メートル72の鈴香被告に対し、1メートル63と小柄な元夫は、「スマップの稲垣吾郎みたいな男性が好き」(同級生の女性)という鈴香被告のタイプだった。その後も4人で会っては、ドライブやカラオケ、パチンコを楽しみ、鈴香被告はこの年の秋、元夫と交際を始めた。
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「川治の方に荷物があるので取りに行きたいんだけど。できるなら、そっちで暮らしたいな」
94年1月、鈴香被告は元夫にそう持ちかけた。
「いいよ。能代市で何かしなきゃいけないことはないし」と答えた元夫と一緒に、親に内証で駆け落ち同然で川治温泉に向かった。
鬼怒川の支流、男鹿川が山あいを流れる川治温泉は二ツ井町に雰囲気が似ている。2人はそこに一軒家を借りて同居を始めた。鈴香被告はコンパニオン、元夫はガソリンスタンドのアルバイトをした。
当時の生活について、元夫は「昼食はパンかカップラーメン。夕食は鈴香に呼ばれて旅館まで迎えに行って、店でおにぎりなどを買って食べてました」と話したが、鈴香被告は「昼はチャーハンを作ったり、夜はシチューや肉じゃがなどを作り置いて仕事に行った」と述べた。
半年後、鈴香被告の父から元夫の仕事を世話するとの話があり、2人は二ツ井町に戻り、鈴香被告の実家近くに家を借りた。元夫は、父に紹介してもらった職場で働いた後、父が経営する運送会社のダンプの運転手になった。
その後、元夫は「籍を入れよう」とプロポーズ。鈴香被告は21歳と若かったこともあり、まだ遊びたいとも考えたが、受け入れた。結婚式や披露宴は開かなかった。父親は「返品はきかないぞ」と冗談めかして言ったという。
鈴香被告にナンパされて出会い、誘われるまま同居し、被告の父の世話で仕事に就いた元夫は、結婚に踏みきった心境をこう語った。
「鈴香の父親にいつ結婚するんだと言われたから結婚した。時間をかけて考えたかったが、押し切られる感じだった」
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「この車、かっこいいべ」。鈴香被告は元夫から車雑誌を見せられ、「この車を買った」と告げられ、驚いたと法廷で語った。
元夫は当時乗っていたトヨタのスポーツカー・スープラのローンが月4万円ほど残っていたが、新たに4万円ほどのローンを組み、いすゞのRV車・ミューを購入した。結局、ローン返済は続かず、何か月か後にスープラを廃車にした。
元夫は公判で、鈴香被告と相談し、共働きすることでミューを購入した。だが、鈴香被告に仕事は見つからなかったと説明した。
これに対し、鈴香被告は公判で、「相談はなかった。(資金のやりくりは)どうにかなると言っていた。働けとは言われていない」と反論している。
家計は鈴香被告が管理していた。元夫は、給料の全額を鈴香被告に渡し、月2〜3万円ほどの小遣いをもらっていた。半年もすると、小遣いの額は減り、たばこ代程度になった。元夫が不満を言うと、鈴香被告は「生活費が足りなくて、あげる金がない」と答えるほど苦しい生活だった。
それでも、2人は趣味のパチンコを、ほぼ毎日やっていたという。夫の給料だけでは、そんな生活がいつまでも続くはずもなく、鈴香被告はパチンコをするため、30万円の借金をし、借金の額は最終的に110万円に膨らんだ。「元夫には借金を言えなかった」と公判で打ち明けている。
将来を考えず、目先の快楽を求めようとするような2人の結婚生活は破たんへと向かっていった。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/feature/akita1206076020175_02/news/20080325-OYT8T00726.htm