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2008年03月14日(金) 00時00分

⑪アトム1話格安75万円読売新聞

ジェット噴射で飛ぶアトム((c)手塚プロ・虫プロ提供)

 「おい、アトムは75万円が売値らしいぞ」

 「えっ、そんなに安いんですか?」

 1962年の冬、西武池袋線富士見台駅前にあった手塚治虫さん(故人)の邸宅で、若いアニメーターがそんな会話を交わした。驚いた方は、アニメ監督の山本暎一さん(67)。手塚邸には制作会社・虫プロが同居し、山本さんは当時、作画スタッフの一人だった。

 「250万円じゃなかったんですか」。そう尋ねると、先輩はみけんにシワを寄せ、うーんとうなった。

 『鉄腕アトム』は虫プロの第1号テレビ作品。75万円はその第1話の値段だ。このころ、20人が半年をかけて、ようやく2話分を仕上げたばかり。その値段ではとても給料がまかなえるとは思えない。しかし、スタジオに現れた手塚さんは余裕しゃくしゃく。パイプをふかせながら、「その安さなら、ほかの会社は手を出せないでしょ」と言った。

 大御所は破格の安さでテレビ局に卸すことで、市場の独占を狙ったのだ。だが、制作費との差額は大きく、当然、赤字が出る。その分は画家の部でトップクラスの高額納税者だった手塚さんが私費で賄ったようだ。

 業界では今も、アニメーターの低賃金、過重労働が話題になると、このエピソードが誰の口からともなく語られる。「手塚先生が安売りしたのが悪いんだ。それが尾を引いている」

 ところが、山本さんによると、事情はちょっと違う。その後、アトムは回を重ねるたびに値段がアップ。約3年後の日本初のカラー作品となった『ジャングル大帝』第1話は250万円で売れた。

 大御所はすぐに間違いに気づいたという。アトムがデビューして間もなく、『狼少年ケン』などたくさんのアニメ放送が始まり、独占の思惑は木っ端みじんに。手塚さんは自伝「ぼくはマンガ家」(角川文庫)の中で、「ぼくの大失敗だった」と振り返っている。

 業界の人件費がなかなか上がらないのは、制作会社の急増による競争激化が主な理由とみられる。天国の手塚さんが知ったら、どう言うだろうか。

 誤解させちゃって、ごめんね——。「ははは」と、ふくよかな笑い声が聞こえてきそうだ。

 ■鉄腕アトム■ フジテレビ系で放送開始。最高視聴率は第84話「イルカ文明」の40.7%。米国ではアトムはオナラの隠語のため、「アストロボーイ」の名で放送された。「史上最大のロボット」(116、117話)は、浦沢直樹さんが漫画「PLUTO」にリメークし、「ビッグコミックオリジナル」(小学館)に連載中。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/feature/tokyo231203958795871_02/news/20080315-OYT8T00123.htm