「娘の敵を取ってやりたいとずっと思っていた。やっとアメリカが動いてくれた」。
くしくも、翌二十五日が一美さんの誕生日。事件がなければ五十五歳になっていた。康子さんは仏壇に「アメリカがやってくれると思うから期待して待っていよう」と話し掛けたという。「誕生日を前に、少しは前向きな報告ができたかも」と寂しげな笑顔を見せた。
付き合いの続く警視庁の捜査員に連絡を取ったが、警視庁にも情報は少なく、突然の動きに困惑を見せるばかりだったという。
夫の良次さんは一九九〇年暮れに五十八歳で亡くなった。「病床でもずっと事件のことを悔しがっていた」と康子さん。
捜査当局からは何年も音さたがなかったという。三浦容疑者への思いを問われ、「顔を見るのも嫌だが、本当のことを言ってもらいたい」と表情を引き締めた。