2008年02月04日(月) 17時18分
ネット心中直前で“引き返した”男性(5)──最期の食事の後、2人に手を振り続けた(オーマイニュース)
2007年12月16日(日曜日)、50代の会社員O氏と「田中」(44)、大阪の女性(22)の3人は再び白樺湖へ向かった。その途中、蓼科牧場と白樺湖の間で候補地を見つけた。通行止めになっている林道で、人は通らなそうに思えた。そこで実際にテントを組み立てて、練炭も燃やしてみた。また、首つりをするシュミレーションもしてみた。
「練炭に火をつけると、かなり煙が出ることがわかったんです」
3人は他の場所も探すことにした。どこが「最期の場所」にふさわしいかどうか周囲をさまよったのだ。「田中」の先輩の別荘にも寄った。先輩は不在だった。その別荘地から少し離れた場所に、候補地を見つけた。この場所が、のちの決行場所になる。
「空き地だったんです。入口に鎖があって、鎖をつなぐ支柱は手で押せば簡単に倒れました。(心中を)決行するには最適な場所でしたね。でも、私が首つりをするのに必要な木は駐車スペースの近くにはありませんでした」
最適な場所を探し終えたところで、茅野市のネットカフェから、その晩に泊まる場所を予約した。前日と同じ諏訪市内の温泉だ。夕食と最終的な打ち合わせはO氏が宿泊する部屋ですることになった。
「打ち合わせで、『田中』さんが、テントは不安なので、車内でやりたいと主張していました。大阪の女性は確実に逝けるのならどちらでもいい、と言っていました。私はこの段階で首つりと決めていたので、どこでやるのか発言する資格はないと思い、結論は2人にゆだねました」
話し合いの結果、「田中」と大阪の女性はレンタカー内で練炭自殺することに決めた。そして、レンタカーをAWDではなく、ワンボックスカーに借り直すことにした。O氏は少し離れた場所で首つり自殺することにした。
「薬を飲んでから、どれくらい動いていられるものか確認したかったので、その晩は一番強い睡眠薬を飲みました。お酒が回っていたためか、2人が私の部屋を出て行った記憶がないんです。2人に『眠くなったら寝る』と言った覚えはあるんですが」
翌17日。「田中」は諏訪市内でワンボックスカーをレンタルした。AWD車は茅野市内のレンタカー業者に返却をした。このとき、再び、燃焼実験をすることにした。
「茅野市内の河原で燃焼実験をしました。近所の人にも聞きました。『いいよ、いいよ』と言っていましたが、念のために警察にも確認しました。実験の結果、 2人はこの方法で自殺できそうと思ったようですが、車内が明るくなると思ったようです。そのため、光を遮るための布を調達しました」
この作業の過程で、3人の心に変化が生じた。
「テントでするわけではないので、山にこだわる必要はない。ならば、東京郊外の深夜のコンイパーキングのほうが見つからないのではないか。やっぱり戻ろうか、ということになったんです」
急遽、3人で東京に向かうことになった。都内で候補地を探すことになったのだが、途上、大阪の女性はクリスマスのイルミネーションを見て、
「お母さんもイルミネーションが大好きで、毎年、家ではイルミネーションを飾っているんです」
などと話していたらしい。そして、夕食と宿泊は都内のホテルにした。ここでの打ち合わせで、3人はぐらついた。
「東京は山に比べて人が多いし、光もある。この環境で、あの山の場所を思い浮かべると、あの場所は絶対に見つからないはずだ、となったんです」
再び、「田中」の先輩の別荘近くの空き地に心が傾いた。O氏によると、「田中」はこうも言った。
「明日は決行したくない。息子の誕生日だから」
決行日は「12月19日水曜日」になった。だが、O氏は決行場所で心変わりした。レンタカー内で3人一緒に死ぬわけではない。だから、茅野市までは一緒に行動するが、それ以降は別行動ということになった。
「最期に会いたい恩人が岡谷市(諏訪市に隣の市)に住んでいました。どうしても会っておきたいと思ったんです」
18日火曜日。3人は再び、茅野市へ向かった。昼食後、最期の場所として候補に選んだ空き地に行ってみた。前日に倒した支柱がそのままになっていた。毎日誰かがチェックしているわけではない。「田中」と大阪の女性はここを「最期の地」にしようと改めて確認した。
その後、茅野市内のネットカフェに行き、女性は、自殺現場の地図を母親に知らせるため、20日に届くようにグリーディングカードを設定していた。
家族に最期のメールを送るということは、家族のことは好きだったのではないか。そう私(=渋井)は思ってO氏にたずねた。O氏はそのことについて、
「女性からは、家族の話は好意的なことしか聞いていません」
と話した。家族好きだったその女性の自殺の理由は別にあったようだ。
そして、茅野市内のファミレスで、3人そろっての「最期の晩餐」をした。
「万が一、うまくいかなかった場合は、フリーメールのアドレスに連絡をくれることになりました。別れ際、いろんな気持ちの中で手を振り続けました。今から考えると、2人を止めるべきだった。なぜ止めなかったのか、ずっと自問しています。でも、このときはそう考えることができませんでした」
その後、O氏は上諏訪駅からは松本駅へ向かった。大きな駅なら近くにネットカフェがあるはず、と思ったからだ。しかし、駅前には見当たらなかった。そこでホテルに泊まることにした。1階ロビーではPCが自由に使えた。
(つづく)
(記者:渋井 哲也)
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