記事登録
2008年01月29日(火) 16時07分

ネット心中直前で“引き返した”男性(1)──「誰と行動を共にするのか」悩み続けたオーマイニュース

 2007年のクリスマス近く、長野県茅野市内で、男女2人の遺体が発見された。2人はインターネットで知り合い自殺した、いわゆるネット心中だった。

 実はこの2人と直前まで行動を共にしていた人物がいた。50代の会社員O氏である。O氏は2人と別れたあとも、ひとりで死のうとしたが、死にきれず、インターネットで検索をして、私(=渋井)に連絡を取ってきた。O氏は現在、自殺は考えていないと語り、ネット心中を食い止めるにはどうすればよいか考え続けている。以下はO氏に都内で、直接会って聞いた話である。

  ◇

 2007年12月23日午後3時50分ごろ、長野県茅野市内の県道沿いの空き地で、男女2人が「ぐったりしている」のが発見された。運転席には住所不定の男性(44)、助手席に大阪府内の女性(22)が座っていた。車内で練炭を燃やしたあとや、外傷もないことから、長野県警茅野署では自殺の可能性があるとみている。〔参考:毎日新聞12月25日付大阪版社会面〕

 O氏がこの2人と出会ったのは、無料レンタル掲示板で作成された自殺掲示板だった(現在は閉鎖)。O氏は仕事上のプレッシャーなど「いくつかの波」が重なりあって、自殺願望が急速に強くなった。これまでも「自殺」を考えたことはあるが、「今回は質が違っていた。空虚さ重く支配していた」。O氏が探したものは、レンタカーではない車と、練炭、そして睡眠薬だった。

 「すべてを投げ出したくなったんです。かつて自殺を考えたときは、漠然と手段は首つりだなと考えていました。でも、適当な場所が見つからない、って思っていましたね。自宅だと家族にも近所の人にも迷惑がかかりますし。レンタカーを除いたのは、少しでも迷惑になる人を減らしたかったからです」

 O氏は自らは自殺仲間を募集せずに、仲間を募集している書き込みに応じる形で10人ほどと知り合い、メールや携帯電話で話をしていた。このうち、大阪、名古屋、静岡、神奈川、東京の人たちとは実際に会うことができた、という。

 「仲間を見つけたいが、このサイトにはどういう人たちが集まっているのか知りたかったんです。そのため、まずはメールで連絡を取り、電話で話しました。そして、最後に会ってみようと。当日に集合場所で会う、というのも聞きますが、それはやめようと思っていました。最後のチームとして組むわけですから、信頼できるメンバーとして過ごしたかった。暗い感じの人が多いと思っていたのですが、意外と普通の人たちで、なんか不思議でした」

 数日後、初めて大阪の女性と待ち合わせをした。彼女の悩みをいろいろ聞いた。2人の共通の感覚として、「どうも名古屋の人が多い」というを感じた。ただ、本当に名古屋にネット心中志願者が多かったのか、それとも志願者が名古屋と偽ったのかは不明という(私=渋井の過去の取材でも、「名古屋」と言いながら、実際には「三重県」在住者だった事例もあった)。また、「田中」(仮名)を名乗る住所不定の男性とも信頼関係を築いていった。

 「もう後戻りできないと思いました。決意が揺るがないように、『死ぬしかない』という気持ちを継続しようと、どんどん自分を追い込みました。今から考えれば、みんないい人たちだった。一緒に死ぬのはイヤだ! と思うような人だった。とくに、『田中さん』とは話もあったし、自殺仲間としてではなく、信頼関係もあったと思います。『もっと違う場面で会っていれば、いい仕事ができたな』と話していましたし……」

 O氏は、「田中」と一緒に行動するかどうか最後まで悩んだ。というのは、彼が自家用車を持っていなかったからだ。連絡を取っていた人の中で自家用車を持っていたのは名古屋の男性だった。しかし、この男性の場合、自家用車には魅力があったが、話が信用できなかった。また、死への願望も揺らいでいた。このためO氏は、誰と行動を共にするか悩み続けていた。

 「名古屋の男性には若干の不安がありました。話のつじつまが合わない。でも、私が必要としたものすべてを持っていました」

(つづく)

(記者:渋井 哲也)

【関連記事】
渋井 哲也さんの他の記事を読む
【関連キーワード】
ネット心中

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080129-00000008-omn-soci