2007年12月19日(水) 10時51分
一番悪いのは裁判官!? 自白重視が冤罪を生む(オーマイニュース)
なぜ、冤罪は生まれるのか? 正されないのか?
存置にせよ、廃止にせよ、死刑制度の是非を問うとき、「冤罪」はのどに突き刺さった骨のような嫌な存在感を示す。「冤罪が正されることはほとんどない」——。その冷徹な現実を象徴する事件の1つ、「名張毒ぶどう酒事件」の冤罪性に迫るシンポジウム(日本弁護士連合会主催)が、東京都内で12月15日開かれた。
■再審開始決定取り消しの不可解
「名張毒ぶどう酒事件」とは、1961年3月、名張市内の小さな村で起きた毒物による大量殺傷事件だ。32人の男女が集まった懇親会で、ぶどう酒をふるまわれた女性たちが中毒症状を起こし、5人が死亡、12人が中毒症状を起こした。
ぶどう酒からは農薬が検出された。警察は、死亡した5人の中に妻と愛人がいた奥西勝さん(当時35)を「三角関係の清算」という動機があるとして厳しく追及した。奥西さんは数日後に自白。しかし起訴直前、奥西さんはそれを撤回し、無実主張に転じた。
64年の一審は無罪。判決は、奥西さん以外にも犯行の機会はあった、自白は信用できない、などと指摘した。村人たちの供述が、事件当初と2週間後とで一斉に変化していることにも言及、供述の変更は「検察官の並々ならぬ努力の所産」と言い切り、奥西さんを犯人にする方向に“操作”した検察の手法を痛烈に批判するものだった。
司直の迷走が始まるのはこのあとだ。69年、名古屋高裁は検察の主張を採用し、一転死刑を言い渡す。72年には最高裁が上告を棄却し刑が確定。奥西さんが提出した再審請求は4回とも棄却された。
77年、日弁連の名張事件委員会は、ぶどう酒のフタ(王冠)についた歯形の鑑定写真は倍率を操作した偽造だったとする証拠を提出し、5回目の再審請求を行ったが、これも棄却。しかし2005年、第7次再審請求を受けた名古屋高裁刑事1部が再審開始を決定する。道が開かれたかに見えたが、翌06年12月、同高裁刑事2部が突然、再審開始決定を取り消した。
事件発生から46年、奥西さんは無罪と死刑のあいだを行ったり来たりしながら、まもなく82歳になる。
■「早く犯人つかまえて」住民の空気が冤罪生む一端に
シンポジウムでは、ジャーナリストの江川紹子氏と大谷昭宏氏、名張事件弁護団3代目団長長の鈴木泉弁護士の3人が、再審制度、自白偏重主義の問題について、熱い議論を展開した。
事件当時、新聞記者として大阪府警をまわっていたという大谷氏は冒頭から、
「再審というのは針の穴をラクダが通るようなものというが、それどころか穴が開いていないんじゃないかと感じる。ここで死刑制度の是非は言わないが、日本には死刑があるにもかかわらず、これだけ再審の扉を閉ざしている。こんな危険なことを続けていて良いのか」
と批判。さらに、「犯人が捕まって罰せられるんだからそれでいい」という集落の雰囲気が、冤罪発生の根っこにあると指摘。
「特に毒物事件は慎重に捜査されなければならないが、一番住民の不安をかき立てるものでもある。早く犯人が見つかって安心したいという住民の声が、『捜査がおかしい』という声をかき消す。誰かを犯人に仕立てれば住民は安心し、警察も面目が立つ。そういう日本社会の構造が、冤罪事件を生んでいる」
と分析した。
再審が実現しない、という司法の問題については、江川氏も猛烈に批判。名張事件の取材で読んだ再審取り消し決定の判決文は三重四重否定のオンパレードで非常に分かりにくかったとして、
「過去の裁判が間違っていたとは認めたくない、という裁判所の姿勢が透けて見える。確定判決を変えなくて良い理由を一生懸命探して、足りなければ想像で補っている。これは、再審請求というものは裁判所に任せるのではなく、市民が判断する制度にすべきではないかと思う」
と語った。
■なぜ自白を取られてしまうのか
密室での取り調べが過酷で、やっていないこともつい認めてしまう、という供述調書の問題はよく知られている。取調室にビデオを付けるなどして可視化しようというのが、その対策の1つだ。だが、そもそもなぜ警察や検察は、そこまで過酷な取り調べをするのか。
江川氏は、持論と前置きしながら、自白偏重の問題には(1)裁判所(2)検察(3)弁護士会とマスメディア(4)警察——の順に責任が重い、との意見を披露。
「自白があれば裁判所での通りが良くなる(刑がつきやすくなる)から、警察や検察はがんばって自白を取ろうとする。逮捕や拘留延長命令も裁判所に頼めばすぐに出る。それにも関わらず、裁判所にその責任の自覚がないことが一番問題」
とした。
鈴木弁護士も、名張事件での無罪判決は物証に依拠したのに対し、死刑判決や再審決定取り消しは自白に依拠したものであると説明。
そもそも、残ったぶどう酒から検出された農薬は奥西さんが持っていた農薬とは別の種類のものだった——など、自白を疑うエビデンスが複数あるにも関わらず、物証が自白より軽んじられたことを挙げ、
「裁判官が、とにかく自白を尊重することを辞めれば、警察も自白なんて無理に取らなくなる。自白を『証拠の王』として取り上げるものだから、警察も検察もその気になって無理して取り調べをする」
「裁判官のこうした考えを改めさせなければ、日本の裁判はいつまで経っても冤罪を生み続ける」
と訴えた。
(記者:軸丸 靖子)
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