末松 自社広告の制作管理と、MSXの発表イベントの仕切りでした。イベントの直後、三次元コンピューターグラフィックス(3DCG)などの研究開発部「ハイテックラボ」の立ち上げに呼ばれました。ここでの仕事が、やりたいことのど真ん中でした。
内容は、レーザーディスクに録画された3DCGとMSXパソコンの画像を合成し、ゲームを楽しむソフトの開発です。今のように3DCGを作るソフトなどありませんから、すべて自社開発です。三次元モデルは方眼紙に図面を描いて座標を手作業で入力しながら作っていきました。作品名は「スターファイターズ」。ユーザーの指示に画面が反応する双方向性を持ち、3DCGを使うゲームとして世界初だったでしょう。
末松 学生アルバイトのプログラマーらに制作をやらせ、自分はその管理や内容の企画に忙殺されるプロジェクトマネジャーの仕事に焦りを覚えたのです。「自分の手を動かしてスキルを磨いておかないと、将来やばい」と思い、85年にアトム社を作りました。
最初は一人で全部やる貧乏プロダクションでした。生活できればいい、業界にしがみつきながら勉強できればいい、と考えていました。テクノロジーが進化すればデザインが変わります。それを身につけ、世に浸透させたいと思っていました。
末松 ポストスクリプトという簡易印刷並みの表現力を持ったプリンター「レーザーライター」(アップル社)が、会社を作る少し前に売り出されましたし、87年には、アドビ社から「イラストレーター」というソフトが出て、簡単に文字やロゴのデザインができるようになりました。
いまや、あっという間に何十案も提案できるようになっていますが、それまでのロゴは、雲形定規やコンパスでコツコツ作るほかありません。マーク一個作るのにも2、3日かけてやっとという感じでしたから、CI業界にとっては革命的でした。
末松 でも、新しいメディアやツールが誕生しても、当の制作者が使わなければ何も生まれません。道具を動かすマッキントッシュ(マック)をデザイナーたちに使わせないと、世界は広がらない。業界のグランドデザインを追求するためには、デザイナーを振り向かせなくてはならない。それには、何をすればよいか。
私の答えは一つでした。アップルに就職することだったのです。
使う側に立ちながら、製品を売り込んでいこうと思いました。販売店や業界に「デザインはパソコンでする時代だ」と、伝えるのが役目でした。広告の掲載媒体を変えたり、販売店向けに大きな発表会を仕掛けたり、ビジネスショーでブースを設けたりして、アップルは本気だと伝えました。
末松 デザイナーがパソコンに振り向いてくれれば、私の役割は終わりです。89年夏には32ビットで画像を処理するソフトが出て、パソコンで表現する色数がそれまでの256色からフルカラーになりました。同時期に、CD−ROMの編集ソフトも登場。「マーケティングをしている場合じゃない。制作者に戻ろう」と、アップルを去りました。
末松 90年には、標準的なパソコンでコンピューターグラフィクスが作れるようになり、雑誌などの編集作業をすべて機械でやっていた内容を、パソコンがこなせるようになりました。そこで登場したのがインターネットです。
インターネット接続プロバイダーのIIJが、商用接続サービスを始めたのが93年末。同じ年にウエブ閲覧ソフトの「NCSA Mosaic」が出て、「やっと考えていた時代が来た」と思いました。
ウエブのデザインを業務の中心に据える決心をしたのは翌年のことです。ウエブによる情報発信も始め、9月には「MAC LIFE」という雑誌のウエブ版と、インディーズバンドの楽曲無料ダウンロードを始めました。これが米国のヤフーで紹介され、大勢の人が見に来たため、サーバーがいきなりダウンしましたよ。
今は、ブロードバンドが普及し、パソコンの性能も向上して、ウエブ閲覧ソフトも進化しました。以前なら追加のソフトを導入しないと楽しめなかったコンテンツを標準ソフトで見られるようになりました。
「都市計画なき」インターネットに秩序を求め末松いまやウエブが基本ソフト並の役割を担い、一般の人がブログやSNSを使って情報を発信するようになりました。これを地域開発に例えると、地盤工事が終了し、人々が家を建てて住み、ショッピングセンターもできました、という段階でしょう。
でもそこには「都市計画」があったわけではない。不完全な情報や古い情報、未完成の情報がまぜこぜになっています。これを検索エンジンで選別することはできません。価値ある情報というものは、体系だてて、まとめられたものです。 これは、専門家でなければ実現できないものではないでしょうか。インターネット上に、優秀な編集者やジャーナリストが生きていけるような経済的仕組みを作っていかなければ、そこはただの荒野になりかねません。
末松権力を監視するような役目は、個人にはできません。新聞、テレビなどが危機に陥ると、権力を見守る役割が失われることになり、たいへん危険なことです。マス媒体が組織を解体することなく、ネット時代に合うように体制を再構築することが理想的でしょう。
末松これは、真実を「早く」「多彩な」発信元から集めるというプロジェクトです。事件などの現場に居合わせた一般の方々に、手持ちの携帯電話のカメラで撮影・投稿してもらい、その中から報道価値のあるものを新聞やテレビ、ウエブ上で発信しようというものです。情報が世に出て行く「正当な経路」を作った、意味あるサービスだと自負しています。
これまでの投稿サイトでは、個人や組織が隠しておきたい裏の情報が、匿名の投稿者によって露出されてきました。でも、こうした現象は、社会が壊れる予兆だと思っています。正しい情報をみんなで安心して共有できるものを作りたいと考えました。勝てばいいというのでなく、そこにいたるまでの過程が大切だと思っています。(メディア戦略局 西島徹)
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