2007年12月02日(日) 12時35分
他人の子供、どうやって叱る?(ツカサネット新聞)
先日、こんな場面を目にしました。
息子の友達Hくんが、Jくんのお腹を叩いて泣かせてしまいました。Hくんを叱ったのは、そのどちらの親でもない、同級生Sちゃんのお母さんです。
Sちゃんママが「H!こっちに来なさい、聞きたいことがあるわ」と呼びかけると、Hくん、渋々近寄ってきました。彼女はHくんに「確かめたいんだけど、あなた、Jのお腹を叩いたの?」と単刀直入に聞きました。Hくんは「だって〜」と、理由を述べようとします。ところが、Sちゃんママはぴしゃりと、強い口調でその言葉を遮りました。
「イエスなの、ノーなの、どっち?」
Hくんは、「・・・イエス」と認めるしかありません。するとSちゃんママ、
「何があっても、暴力はいけません。言い訳は聞かないわよ。謝りなさい」
と、言い切りました。
他人の子供を叱るのは難しい。けれど、私の住むニュージーランドでは、子供の友達を預かる機会がとても多いのです。他人の子供だからといって、叱らないわけには行きません。自分が現場を見ていなかったとしても、理由を聞いて判断したりしていては機会を逸します。悪いことは悪い。自分の価値観が、子供を叱る基準です。
Sちゃんのママにとっては、理由は関係なかったのです。
どんな状況にあっても、先に手を出した方が悪い。それが彼女の判断基準でした。自分の価値観が確立しているからこそ、彼女は毅然とした態度で、Hくんを叱れたのだと思います。
かつての社会には、正しいにしろ正しくないにしろ、共通した価値観というものが存在していました。例えばそれは宗教に基づく規範意識であったり、集落のルールやしきたりであったのでしょう。でも、現代は価値観の多様化の時代です。隣の人は、どんな価値観を持っているのかわからない。自分が良しとすることでも、隣の人にとってはそうでないかもしれない。周囲とのコンセンサスがどれほど取れるのか判らない中で、自分自身の価値観を孤独に保ち続けるのは、容易なことではありません。
けれど、だからといって子供の好ましくない行為に見て見ぬ振りをするのが、大人の行為として正しいとは、私は思いません。
ニュージーランドのお母さんたちは、子供を叱る時によく、「私はそういうことは、好きじゃないわ(I don't like it)」という言葉を添えます。この価値観は私のものよ、という表明をした上で、叱ります。私はこの言葉の使い方がとても好きです。同じことをしても、叱る人も叱らない人もいる。そんな価値観の多様さをも、同時に伝えてくれるからです。そして、そういう風に息子を叱ってくれる他人が沢山いることを、有り難いと思います。
他人の子を叱ると、自分自身もまた、その子の成長に影響を与えているのだ、という自覚が生まれます。子供は、周囲の大人すべてから何かを学んで成長します。良いことも、また悪いことも学ぶのです。社会を構成する大人の多くがその自覚を持つことで、子育ての孤独はずいぶん和らぐのではないでしょうか。
子供たちの教育は、親や学校だけではなく社会全体を構成するひとりひとりが担うものだと、私は思います。そのために、まず他人の子供を叱ってみませんか。そして、叱られた子のお母さんお父さん、たとえそれがあなたの価値観にそぐわなかったとしても、子供がひとつ学んだことを喜んでみませんか。
(記者:江頭由記)
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