2007年10月05日(金) 09時54分
常識はずれで暗黙のルール 相撲と政治は同じ?(ツカサネット新聞)
連日報道されている、暴行による力士死亡事件。正直なところ、過剰なまでの報道ぶりに飽き飽きしている方も多いだろう。私もその1人であり、こうして文章にすること自体億劫に感じているのが実情だ。
ただ、現在進行中の一連の経過を見ているなかで、相撲は「国技」であり、政治と同じ部類に属するものだと感じるようになった。
まず、日本相撲協会が文部科学省に属していることを、今回の事件で初めて知った。そして当初は「警察の捜査を見守る」ことを理由に具体的な対策なりを採らなかった協会が、文科省による警告があって初めて解決に動き出した。協会としては出来るならば過去のものとして「自分達は関係ありません」という態度でいたかったのに、このままでは「国技」という看板が外されてしまう恐れがある。だから文科省に出向いた際に謝罪しようやく、本当にようやく重い腰を上げた。
だが親方や兄弟子への事情聴取を行ってもまだ、「責任は親方にある」と我、関せず的態度は崩さない。おそらく協会に事件の徹底究明をするだけの強い決意はないだろう。とりあえず言葉だけで態度を示しつつ、ある程度のほとぼりが冷めるのを待っているのではないだろうか。
政治でも金銭的な不祥事が表沙汰になるのは、常にメディアによるスクープからである。それを受けて当人が謝罪を示し、何らかの対処を施す。だが同様の悪事を働いているのは他にも無数にいる。しかしながら、それらが明らかになるのはメディアの芋づる方式によってだ。彼らは「バレなければ大丈夫だ」「オレを巻き込むなよ」と心の中では思っていることだろう。そして謝罪の後は何事も無かったかのように、また重要ポストについている。
女優の沢尻エリカが言うところの“諸悪の根源”を解明すれば、自分達のポストさえも危うくなってしまう。だからこのような態度をとり、誰かをスケープゴートに仕立て上げ、自分たちは呑気に今も上から世間を見下ろしているのだ。
一般常識とはかけ離れた、時代錯誤も甚だしい暗黙のルールがある相撲界。政治に無関心な人間が増えているように、相撲に無関心な人間も今後加速的に増えることだろう。
(記者:adios7210)
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