2007年10月03日(水) 10時22分
江原啓之とユリ・ゲラー、ブームの類似性(ツカサネット新聞)
スピリチュアル・カウンセラーを自称する、いわゆる霊能者の江原啓之氏が、平成ニッポンで一大ブームを巻き起こしている。氏の登場するテレビ番組「オーラの泉」は高い視聴率を稼ぎ、本を出版すれば必ずといっていいくらいベストセラー入りする。
この江原ブームの日本の精神史・宗教史における意味づけについては、識者たちもさまざまな見解をご開陳なされているようだが、江原氏の一ファンとしてひとつの意見を述べさせてもらえば、このブームはちょうど30年ほど前のユリ・ゲラーブームにいささか似てはいないだろうか。
当時、念力でスプーンを曲げるというユリ・ゲラー氏が来日し、テレビに登場すると、日本は沸きかえった。その理由は、スプーンを曲げることができるのは、超能力者を自称するユリ・ゲラー氏だけではなく、テレビ番組を見たものたちのなかで「私も曲げられました」というひとたちが続出したことにあろう。
実はかくいう私も、スプーンを曲げることができた子供のひとりで、腕力ではびくとも動かないスプーンが、念ずれば飴のように曲がってしまうことに、人間の持つ潜在能力の不思議さに胸をときめかせたものだった。
現代ニッポンにおける江原啓之氏の霊視なるものも、霊能力者たる彼だけの特殊能力というのではなく、江原氏のように恒常的に霊が見えるというような高い能力を持ったものはさすがに少ないだろうが、一度や二度霊を見たことがありますというひとは世間に多いのではないだろうか。
また自分の例を持ち出して恐縮だが、私自身も何度か死後霊というものを見たことがある。特に父の死後に父の霊と合間見えた体験はいまでも私に深い印象を残している。とりわけ身内の死に際して、霊を見るという体験も、世間には非常に多いと聞く。
そのような体験が素地にあるひとびとが、江原氏の霊視をテレビなどで目の当たりにすると、共感と同時に人間の持つ潜在能力の不思議さに打たれて沸き返るのではないだろうか。
ユリ・ゲラーブームと江原ブームの共通性は「大衆性」というひとつのキーワードでくくることもできるのだろう。大衆の共感を呼び、かつ大衆に夢を与えるからこそ、ブームとなる。
けれども懐疑論者というものはいつの時代でもいるものだ。ネットで「スプーン曲げ」ということばで検索すると、たくさんのサイトがヒットするが、そのなかには現在に至るも「スプーン曲げはいんちきで手品に過ぎない」と主張するものが少なくない。念力肯定論者と懐疑論者との論争は30年後のいまでさえ決着がついていない模様である。
江原啓之氏に関しても、いまから30年後になってさえ、「あれはインチキだ」と主張するものがあとを絶たないのだろうか。
けれども私の感想では、懐疑論が何ものかを生み出すことは少ない。それよりもとりあえずユリ・ゲラー氏であれ、江原啓之氏であれ、彼らの能力をとりあえず肯定的にとらえ、それを人間の英知と福祉をより深める方向へ発展させることを模索したほうが、より価値があるのではないだろうか。
(記者:千地有井)
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