サバ寿司を柿の葉に包んで押したのが柿の葉寿司。奈良は柿の木が多く、和歌山に次いで柿の生産量全国2位だ。海のない奈良で、その葉とサバを組み合わせた味は、庶民の知恵の結晶といえる。
山間で魚を食べるための「吉野の山間僻地の人が食べる柿の葉鮨と云うものの製法を語った。……今年の夏はこればかり食べて暮らした」
谷崎潤一郎は、昭和8年に発表したエッセー『陰翳礼讃』の中で「柿の葉鮨」について書いている。現在は「僻地」ではなくなったが、昔ながらに家庭で作る人たちがいると聞き、文豪をうならせた味を求めて御所市へ向かった。
御所は奈良盆地の南西端、吉野町の北西10キロに位置し、江戸初期は桑山氏御所藩の城下町だった。その後、幕府の直轄地になり、大和かすりや大和売薬の商業地として栄えた。碁盤の目状の町割りや古い家並みが残る。
JR御所駅近くの農家を訪ねると、近所の人や夏休み中の子供たちが集まっている。「暑いのによう来てくれはった」とナス農家を営む増田ノブ子さん(74)が出迎えてくれて、さっそく調理に取りかかった。
まずは柿の葉を洗い、タオルで拭いてしっかり水気をとる。葉は甘柿より柔らかい渋柿のものを使う。「この辺の家の庭にはたいがい渋柿が植わってますわ」と増田さんは言う。
塩サバは薄切りにして、砂糖などをまぜた酢にあらかじめ3〜4時間つけておく。ご飯が炊き上がったら合わせ酢を散らし、うちわであおいで冷ます。「サバはごっつう切らず、なるたけ薄く。酢飯はちゃんと冷まさなあきません」と作り方のコツを教えてくれた。
柿の葉寿司は本来、初夏の食べ物だ。6月の若葉は柔らかくて巻きやすいし、この時期の祭りに柿の葉寿司を供えるのが慣わしになっているという。
「6月16日の“大神宮さん”の2日前に作っておけば、ちょうど祭りの日においしくなりますねん」と増田さん。その日は「近所の家の軒下に行くと、酢のにおいがしますわ」
“大神宮さん”は市内の中でも古い地区の小規模な祭りで、別名「お伊勢さん」。行商が魚を売りに来たのが祭りの時期だったという説もある。
柿の葉寿司の老舗、平宗の平井陽出一店長(36)によると、江戸時代の行商は熊野灘から伯母ヶ峰を越えるか、紀伊水道から紀ノ川、吉野川沿いを上がってきた。
保存のため魚の腹に塩を入れたので、大和に着くころには「辛い」ほど塩気が回っていた。これを米と一緒に柿の葉で包んだのが原型という。行商のルートは柿の葉寿司を家庭で食べる地域とほぼ重なり、御所はその北限になる。
昔は糸を引くほど発酵させ、いわゆる“なれ寿司”の状態で保存食として食べていたらしい。
柿の葉で包むのは「手近にぎょうさんあったから」と平井さん。とはいえ、柿の葉に含まれる渋味成分のタンニンは、タンパク質を腐敗に強い不溶性の物質に変える力がある。
さて、固めに握ったサバ寿司を柿の葉で巻き、押し箱にすき間なく並べればできあがり。板でフタをして重しを乗せ、1〜2日すれば食べごろになる。
柿の葉をめくると、夏らしい青い香りとともに、しめたサバ特有の酸味と脂の合わさった甘いにおいがした。「不思議と何個もいけますねん」と増田さんが言うように、酢飯にサバのうま味がしみて、押し箱へ伸びる手がとまらない。
サケを使った柿の葉寿司のおいしさを、谷崎はこう端的に描いている。
「なるほどうまい。鮭の脂と塩気とがいゝ塩梅に飯に滲み込んで、鮭は却って生身のように柔かくなっている工合が何とも云えない」
このくだりを読むたびに、また奈良へ行きたくなる。(文/福崎圭介 写真/酒井羊一)
旅行読売10月号よりhttp://www.yomiuri.co.jp/tabi/gourmet/fudoki/20070911tb03.htm