元伊藤忠商事会長で、臨時行政改革推進審議会(新行革審)会長代理や東京商工会議所副会頭なども務め、戦後の政財界の黒衣役として隠然とした影響力をもった、瀬島龍三(せじま・りゅうぞう)さんが4日午前零時55分、老衰のため東京都内の自宅で死去した。95歳だった。通夜や葬儀の日取りは未定。
1911年、富山県小矢部市生まれ。陸軍士官学校、陸軍大学を首席で卒業し、39年に陸海軍の作戦・用兵などを担当する大本営参謀になった。43年のガダルカナル島撤収作戦の主任参謀などを務めた後、終戦直前の45年7月、中国東北部に駐屯していた関東軍参謀に転出。停戦交渉に携わった後、そのまま56年夏まで旧ソ連に抑留された。
帰国後、58年に伊藤忠商事に航空機部嘱託として入社。独自の情報網や人脈を駆使して同社の業績向上に貢献し、安宅産業との合併責任者として活躍するなど、繊維商社から総合商社に脱皮させるのに力を尽くした。
副社長から副会長、会長を経て81年から相談役。同年11月から東商副会頭となり、消費税の導入に対して、政策委員長として反対論を抑える役割を果たした。
また、故土光敏夫経団連名誉会長が力を入れていた臨時行政調査会(土光臨調)と、旧行革審でも委員を務め、その後の新行革審では大槻文平会長の下で会長代理として、政官界と財界の橋渡し役となった。
83年に当時の中曽根首相が電撃的に韓国を訪問した際には、「密使」として日韓のパイプ役になるなど、戦後政治の様々な場面で保守政治家のブレーンとして活躍した。
山崎豊子さんの小説「不毛地帯」のモデルとされる。著書に「瀬島龍三回想録 幾山河」。
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