敵をひっかけて倒す武器である約2千年前(弥生時代中期)の銅戈(どうか)に、製作に携わった人の指紋らしい痕跡が残っていることが分かった。古代の青銅器で見つかったのは極めて珍しい。調査が進めば工人を識別でき、作品の地域的な関係が解明される可能性があり、前例のない研究に発展しそうだ。大阪府立弥生文化博物館(同府和泉市)で開催中の「稲作とともに伝わった武器」展(朝日新聞社など主催)で紹介されている。
銅戈(長さ24.2センチ)は同府東大阪市・瓜生堂(うりゅうどう)遺跡から78〜80年の発掘調査で発見された。同博物館の常設展示開始から15年を経て、表面の劣化が見られたため、保管者の大阪府文化財センター中部調査事務所の松岡良憲・調査係長らが今年に入って、刃の中心部付近の表面を詳しく調べた。その結果、表面2カ所から、弓状紋か渦状紋の指紋の可能性が高い痕跡が検出された。
同センターによれば、当時の鋳造では、粘土で作った鋳型と中に流し込んで固まった青銅をはがしやすくするため、粒子の非常に細かい土を水に溶いたもの(離型剤)を鋳型の表面に塗ったという。この離型剤がまだ生乾きの時に、指紋が付着したと同センターはみている。指紋が残ったまま乾き、鋳型の文様のような役割を果たして鋳出されたらしい。
青銅器は弥生時代に水田稲作などとともに大陸から日本列島へ伝えられた。はじめは製品がもたらされていたが、やがて独自に生産され始めた。大きな勢力を持つ政治的なリーダーが、武器や祭りの道具として製作技術も独占したとされる。
江浦洋・同博物館学芸課長は「これまで見落としてきた可能性があるので、今後、ほかの青銅器も調べたい。もし、類例が増えれば、特定の工人の作品の地域的な広がりなどがわかり、地域間の政治、経済関係などを明らかにできる可能性がある」と期待している。
同展は7月1日まで。
http://www.asahi.com/national/update/0512/OSK200705120004.html