4人は、機長の建村善知3佐(54)、副操縦士の坂口弘一1尉(53)、整備士の岩永浩一2曹(42)、整備士の藤永真司2曹(33)。
防衛省などによると、ヘリは、30日午後9時50分に那覇基地を離陸し、患者を同県徳之島町のグラウンドで収容しようとしたが、霧のため着陸できなかった。このため、同11時ごろ、目的地を島西岸の徳之島空港に変更したが、直後に消息を絶ったという。
31日午前6時15分ごろ、捜索中の県警や徳之島地区消防組合などが山頂の北東約1キロの山中で機体の一部を発見。ローター(回転翼)とみられる部位などで損傷が激しかったという。その後、機体の残骸の下などから隊員が相次いで見つかった。
緊急患者の空輸は、離島で急患が出た際、知事の要請を受けて実施される。鹿児島・奄美以南と沖縄全域は、主に陸上自衛隊第1混成団101飛行隊と第11管区海上保安本部(いずれも那覇市)が対応している。
101飛行隊にはCH47ヘリ2機などが所属し、計10人前後が24時間態勢で待機。年に240回前後出動しており、沖縄の本土復帰の72年から31日までに7262回、7616人を搬送している。一方で、90年2月にも同飛行隊のLR機が洋上に墜落。医師を含む4人が死亡する事故も起きている。
墜落したCH47JAは全長約30メートルの大型双発ヘリ(58人乗り)で、長距離を飛べ、輸送力も大きい。ボーイング社の設計で、川崎重工が製作しており、陸自では95年から使われている。
http://www.asahi.com/national/update/0331/TKY200703310013.html