全国15地裁に起こした集団訴訟で5件目の判決だったが、国に賠償を命じたのは昨年12月の神戸地裁のみで、大阪、東京、徳島3地裁に続く原告敗訴の判断となった。
名古屋訴訟は03年9月から4次にわたって提訴され、愛知、岐阜、三重、静岡、新潟、石川、福井の7県に在住する207人が原告。東京訴訟に次ぐ規模となっている。この日は、1〜3次提訴の77〜00年に帰国した79〜60歳の168人(うち12人が死亡)に判決が言い渡された。
裁判では、ほかの集団訴訟と同様、国は残留孤児の早期帰国を実現させる義務があったか▽帰国後の自立支援策は十分だったか——が主な争点となった。
原告側は、旧満州に移住を進めた国策が残留孤児を生んだと主張。中国共産党政権が成立した49年から、国は孤児らを速やかに帰国させる「条理」(物事の道筋)上の義務があったのに施策を怠ったうえ、72年の国交正常化後も身元保証を求めるなど帰国を妨げる措置をとったとした。
さらに、帰国後、国が数カ月程度の日本語教育しかしなかったことなどから、原告の多くが日本語に未熟で、就職で不自由したと主張。提訴時に原告の約半数が生活保護を受けるなど日常の暮らしに窮し、自立して生活するのに必要な支援策が不十分だと訴えていた。
これに対し、国側は、早期帰国や自立援助の義務に法的な根拠はないと反論。残留孤児が受けた被害は戦争損害に当たり、原告だけが犠牲を強いられたのではなく賠償義務はないとしていた。
http://www.asahi.com/national/update/0329/NGY200703290003.html