同社によると、事故は99年6月18日午前2時18分に発生。制御棒3本が抜け落ち、臨界状態となった。緊急招集された所長や所長代理(現・常務)、次長らが事務建屋内の「緊急時対策室」で協議し、隠蔽を決めたという。
同社が設置した事故調査対策委員会(委員長・永原功社長)が関係者に聞き取りをした結果、当時、対策室と本店を結ぶテレビカメラの映像などを通じて、本店の担当幹部にトラブルの一部が伝わっていたことが判明した。「原子炉内の計測データが異常を示したが、電気信号の乱れだった」とする内容で、臨界状態に陥ったことなどの報告はなかったという。
http://www.asahi.com/national/update/0329/OSK200703290037.html