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2007年03月28日(水) 17時01分

植木等さん死去…“スーダラ男”演じ切り夕刊フジ

 27日呼吸不全で死去したコメディアンで俳優の植木等さん(享年80)。小学3年生のときファンレターを出し、大人になってからは、夢がかなってイベントなどで一緒に仕事をしたお笑い評論家の西条昇さん(42)が、夕刊フジに思い出を語った。

 高度経済成長期、そしてバブルが弾ける前にもリバイバルブームが起きた植木さんの代名詞ともいえる「スーダラ節」。

 「僕にとっては、“笑いの人”を通り越して、かっこいいヒーロー的な存在だった…」

 小学校3年生だった西条さんは、植木さんに手紙を出し、直筆の返事が届いたという。

 社会人になってから、偶然、仕事のオファーを受け、そのころの話を植木さんに切り出した。

 「高校1年生になったら落語家になると書いていたんです。そんなこと書いてくる人がいなかったらしく覚えていてくださった」

 その後、コンサートやディナーショーなど、憧れの人と何度も仕事をする機会に恵まれた。

 植木さんの魅力は、見た目と中身のギャップだという。

 「ジャズマン出身で、顔は二枚目、いい男にもかかわらず、アッハッハと笑う姿は見ている側の心を明るくしてくれた」

 モーレツ社員を次々とパロディーにして歌った植木さんのものには、時に実際のサラリーマンから「決して、気楽な稼業ではないんですよ」という手紙が届いたこともあったという。

 「でも、植木さんはバカにしているわけではなくて、気楽に行こうじゃないか、肩の力を抜いてっていう応援歌の気分で歌っていたんだと思いますよ」。そう代弁する。

 さらに、「カップルが歩いている真ん中を、『ヨッ、やってるね!』と両方の肩を叩いて歩くシーンなんかも痛快で…」。演じ方次第では下品になりそうなギャグも、「それが、そうならなかった。お坊さんの息子さんだったこともあって、生き方に信念をお持ちだった」。

 こんなエピソードもある。青島幸男さんから「スーダラ節」を渡されたとき、歌詞を見て「こんなうた、歌えない…」と悩んだが、その背中を押したのが三重県で浄土真宗の寺で僧職をしていた父・徹誠(てつじよう)さんだった。

 「『分かっちゃいるけどやめられない』というのは親鸞の教えに通じるものがある」と言われ、ようやく納得できたという。

 「世のサラリーマンにストレートに『頑張れ』と言うのでは笑いにならない、ひとひねりして、エールを送ってくれていたのではないかと思います」

 粋な詞は時代を超えて人々を勇気づける。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070328-00000001-ykf-ent