67年、テレビのリハーサル室で江利チエミさん(左)とダンスのけいこをする植木等さん
62年の映画「ニッポン無責任時代」で植木さんが演じた主人公・平均(たいら・ひとし)は、ろくに仕事もしないのに出世はするわ、女にもてるわ。周囲の迷惑なんのその、「わかっちゃいるけど、やめられねえ」とうそぶいた。「高度成長期の気分の象徴。むちゃくちゃだが面白い時代が始まるぞ、と予感させた」と映画評論家の佐藤忠男さんは話す。
30作品に及ぶシリーズで、世のサラリーマンの共感を呼んだ植木さんだが、実は素顔とのギャップに大いに悩んだ。
もともと寺の住職の息子。父は部落解放運動の闘士で、治安維持法違反で入獄もした硬骨漢だった。故・青島幸男さんから「スーダラ節」の歌詞を渡された植木さんは、「人生が変わってしまうかも」と悩んで父に相談。「この歌詞は親鸞の生き方に通じる」と諭され、歌うことを決意したエピソードは有名だ。
「シャボン玉ホリデー」の構成を務めた、放送作家のはかま満緒さんは「酒は一滴も飲まないが、かつらをかぶってカメラの前に立つと、人格が変わったように破廉恥な酔っぱらいを演じきった。無責任男がうけたのも、根がまじめだから」と振り返る。
70年代以降も、映画やテレビ、舞台にひっぱりだこ。映画「新・喜びも悲しみも幾歳月」など、滋味深い老け役で活躍した。89年に出演したミュージカルの演出を手がけた宮本亜門さんは、還暦を過ぎた植木さんが毎日2時間も早くけいこ場に現れ、若いダンサーに交じってけいこをしていた姿が忘れられない。「舞台で何の努力もしていないように振る舞いながら、裏で身を粉にしている。ショービジネスの精神を教えられた」
所属事務所によると、97年ごろから肺気腫を患い、療養しながらの仕事だった。今年1月、食欲不振で都内の病院に検査に行き、そのまま入院。3月中旬から意識は混濁し、最期は妻の登美子さんと3人の娘がみとった。
昨年11月、朝日新聞の取材で、植木さんは自分の死について「いつまで生きてるかっていうのは分からないからね。無責任男がどういう死にざまをするか。自分のことではあるけども、僕自身も興味のある問題だね」と、しみじみと語った。同じころ、家族やマネジャーには、こう言い残していた。
何かあったら密葬にして、延命措置もしないでくれ——。
http://www.asahi.com/culture/news_entertainment/TKY200703270468.html