たこ焼きをつくる喜多武俊さん(左)と孫の泰造さん=大阪市北区で
「やっと開いたね。何回も見に来てたんや」。のれんをくぐる客が声をかけてきた。
買い物客でにぎわう昼下がり。店主の喜多武俊さん(79)は「針」と呼ぶ千枚通しを自在に振るってたこ焼きをひっくり返す。取っ手の付いたたこ焼き鍋を動かしながら、こまめに火を強めたり弱めたり。7割方焼けたところで生地を継ぎ足す「2度焼き」で、ぱりっとした食感を出す。
焼き上がると、妻のてる子さん(77)が「ソース、どうします?」と客に声をかけた。7種類の調味料をブレンドした生地は下味がつき、そのまま楽しむ常連も多い。
開店から半世紀余り。大阪の味を紹介するガイドブックには必ずと言っていいほど登場し、グルメ評論家の山本益博さんも「この店のたこ焼きは立派な料理になっている」と絶賛した名店。「一に味付け二にお鍋、三に火加減、焼き加減」。武俊さんの「たこ焼き哲学」だ。
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昨年3月13日午前7時過ぎ。武俊さんは「ボーン」という音で跳び起きた。窓を開けると、隣家から炎とともに黒煙が噴き出していた。
てる子さんを避難させ、勝手口までたどり着いた時、正面から炎を浴びた。幸いやけどは軽かったが、一時顔は腫れ、足首には跡が残った。木造3階建ての店舗兼住宅は全焼し、看板と10枚の銅製たこ焼き鍋、特注の保温器などたこ焼きの道具だけが残った。
長男の基夫さんが再建の先頭に立った。20年前に会社員を辞め、「後継ぎ」となるべく店を手伝っていた。業者と新しい店の設計の打ち合わせを重ねていた6月、突然体調を崩した。検査の結果は肺がん。すでに転移していた。医師は武俊さんに「今年いっぱいの命です」と告げた。「そんなあほな」
病状が進んだ夏、新しい店の設計図が届いた。病室に持って行くとしばらく眺め、「これでええよ」。「後のことは任せとけ」とこたえるのが精いっぱいだった。
基夫さんは、12月16日に52歳で亡くなった。武俊さんは「廃業」も頭をよぎったが、1月に基夫さんが心にかけていた新しい店が完成し、再び店を始める決心をした。
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武俊さんの隣には、孫の泰造さん(28)が立つ。父からは「無理できん体になったら裏方にまわる。2人で一緒にやろう」と言われていた。いま、本気で店を継ごうと決めている。忙しいときには母の桂子さん(53)も「焼き」を手伝う。
武俊さんは「自分が続けられるのもせいぜいあと1、2年。それまでに特訓せんと」。再開のお祝いに贈られた店ののれんには、「武俊」「基夫」「泰造」3人の名前が染め抜かれている。
http://www.asahi.com/national/update/0324/OSK200703240083.html