贈呈式に臨んだ海野碧さん(左から2人目)と選考委員の北村薫さん、有栖川有栖さん、田中芳樹さん(左から)=都内で
●人生経験も備えて、特別な力?
今年の日本ミステリー文学大賞新人賞に選ばれたのは長野県出身の主婦、海野碧(あお)さん(56)。同賞で50代女性が選ばれるのは初めて。受賞作『水上のパッサカリア』(光文社)は、同居していた女性を事故で失った男性の秘められた過去をめぐるミステリーだ。今月14日の贈呈式では「もっと前から書き始めれば良かった、と後悔するくらい夢中になりました」と小説への思いを語った。
1月、横溝正史ミステリ大賞テレビ東京賞に決まった「誤算」の作者「松下麻里緒」は、東京在住の主婦、黒川佐枝さん(56)と田中和枝さん(56)の共同ペンネーム。資産家の死を機に遺産相続に巻き込まれる看護師を描いた受賞作は、同局でドラマ化される予定だ。昨年の鮎川哲也賞でも佳作に選ばれている。
彼女たちの経歴は様々だ。海野さんは20代で女流新人賞と群像新人文学賞優秀作に選ばれた実績があり、短歌やエッセーを書き続けていた。
本格的に小説に取り組み始めたのは最近のこと。夫が仕事で海外赴任、一人娘も大学に進学して手を離れた4年半前、母が1人で住む故郷へ戻った。家事と足の不自由な母の介助、ペットの世話以外は、自分の時間。「あまりにも暇だから、気まぐれで小説を書き始めたら、言葉が次々とあふれてきたんです」
一方、黒川さんは05年まで家庭裁判所の調査官。田中さんはラジオ局の元アナウンサーで結婚後は専業主婦に。大学時代に卒論を一緒に書いたという2人は、黒川さんが仕事を辞めたのをきっかけにコンビで創作を始めた。「さんざん他人の性格や家族関係を仕事にしてきたので、辞めたときには架空の物語を書きたくなった。この年でわくわく出来るのは、幸せです」と黒川さん。
「主婦」の強さが発揮されるのは「日常」の丁寧な描写だ。ミステリーとしては陰謀や謎のスケールが小さいといった辛口の講評もあったが、実体験や生活に裏打ちされたリアルな描写が高く評価された。
たとえば、語り手の男が湖畔の一軒家で犬と静かに暮らしている風景から始まる『水上のパッサカリア』。登場する頼りない犬は海野さんの飼い犬の性格そのままで、家庭菜園で野菜が育たないといったささいな失敗談も実話だという。
選考委員の田中芳樹さんは「淡々と男女の日常が語られていくにもかかわらず、近い将来に何かが起こるな、とひしひしと感じさせる力がただ事ではない」と評した。
それにしてもなぜ、女性たちはミステリーというジャンルを選ぶのか。
「自分が一番読みたいと思った小説を書いた」
05年にホラーサスペンス大賞を受賞した奈良県の沼田まほかるさん(59)はこう答える。デビュー作『九月が永遠に続けば』(新潮社)の後、単行本1冊を刊行、連載を抱えて順調にキャリアを重ねる、50代新人女性作家の先駆けともいえる存在だ。
「若いころは純文学にあこがれていた。でも、日々の生活の中で、うつうつとしていた自分を3時間だけでも救ってくれたのがエンターテインメント小説。初めて世の中と自分を結びつけてくれたジャンルだったからこそ、書きたかった」
間違いなく「遅咲き」の彼女たち。だが、ミステリーの書き手が男性中心だった時代から、少数派の「主婦作家」として書き続けてきた夏樹静子さん(68)は、「50代はまだまだ若い」と言いきる。「先走る必要はない。生きてきた厚みと、多角的な視点で、一つ一つ丁寧に書いてほしい」
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200703230267.html