≡湯につかれば胎内の感覚≡
今年は雪無しの冬で終わるのか、と誰しもが思っていた矢先、思いがけない春の大雪に見舞われた。この日は何週間も前から楽しみにしていた休診日で、あれこれと楽しいドライブを計画していた矢先である。遠出はあきらめ、「寒いから」と渋る母と妻を誘って富山との県境にある山里のお風呂に出かけることにした。
雪はしんしんと降り、山沿いの道には、深い轍(わだち)がどこまでも続いている。スリップしながら山間を縫って行くと、山肌の杉林や雑木林はすっかり新雪に覆われて、モノトーンな冬景色を作り出している。「いい景色だねぇー、やっぱり冬はこうでないとねぇー」と渋っていた母も思わず口を開いた。
山の湯は案の定閑散としていた。大きな露天風呂に首までつかり、手足を大きく伸ばすと気が遠くなるような気持ちよさが指先からはい上がってくる。眼を閉じ、頭をからっぽにし、岩の間から落ちる湯の音に耳を傾ける。湯音の向こうからかすかに鳥の声が聞こえる。風が凪(な)いできた。大脳皮質から脳幹に向かってあかのようにたまっていたストレスがゆっくりと洗い流され、五感が研ぎ澄まされていく。
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急にまぶたの裏に光の揺らめきを感じた。眼を開けると、湯の面に日の光があたっている。いつのまにか雪雲は消え、頭上にぽっかりと丸い大きな青空がひろがっていた。春の淡い白雲がゆっくりと流れている。青空から銀紙を散らしたように、無数の雪片が風に乗って光の中をゆっくりと舞い降りてくる。顔に当たると、雪はチクチクと小さな冷たさを残し、一瞬のうちに消えていく。消えゆくものは雪でさえメッセージを残すのだろうか。
露天風呂の縁に立つと、雪の積もった段々畑や山肌はなだらかな輪郭に変わり、そこに柔らかい光と影が見える。それを見る人の心もふわふわしてくる。そして優しくなっていく。
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温泉療法は古くからの民間療法である。山奥の湯宿に米や鍋釜を持ち込んで、じっくり湯治に専念する。痛い足腰や身体や心の不調が、薄皮をはぐように楽になっていくという。現代医学が湯治の効果を検証した結果、湯の保温作用や水圧効果、含有しているイオンやpHによる殺菌作用により、関節炎やアトピー性皮膚炎に効くことが証明された。
しかし、今では、温泉に頼らなくてもこのような効果は現代医療から容易に得ることが出来る。得がたいのは、温泉医学研究者が総合的生体調整作用と呼ぶ、自律神経、内分泌、免疫の乱れを本来のリズムに戻す作用である。この生体調整作用ゆえ、温泉は今も現代人の心と身体のオアシスとして人気を保っているのである。
さて、僕が雪の露天風呂で感じたあの安らぎこそが生体調整作用であるとすれば、それは温かいお湯に浮かびながら、自分を包み込んでくれる自然と心ゆくまで対話することで得えられるものに違いない。まるで母の胎内に戻ったようなこの感覚が人のすべてを癒やしてくれる大きな力となるのではないのだろうか。
(形成外科医)
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