「1229」。窃盗事件で受刑中の男は、この収容者番号で呼ばれている。
「小説現代」「小説宝石」といった文芸雑誌を購読。休みの時間、その何冊かを手にしては、むさぼるように読んでいる。関係者が接見に来ると、深々と頭を下げる。丁寧な言葉遣いで冗舌。男は落ち着いた口調で、こう話したという。「極刑以外にないことを確信し、覚悟していますから」
「1229」、本名、小田島鉄男被告(63)。05年10月に強盗殺人容疑で逮捕。マブチモーター会長宅など3件で計4人が被害者となった強盗殺人事件の罪に問われている。判決言い渡しは22日。求刑は死刑。その日を、9回目となる刑務所の中で待つ。
検察側の冒頭陳述などに描かれた経緯は、90年6月にさかのぼる。
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当時、47歳。東京・練馬の建設会社社長宅に立てこもり、現金3億円を強奪。宮城刑務所で約11年間、受刑した。その間にも、企業情報誌は欠かさず目を通す。「次」のためにリストアップした一つが、マブチ会長宅だった。
02年6月25日。出所したその日に、かつて同房にいた守田克実被告(56)に電話をかけ、翌日再会する。
「マブチモーターの社長(当時)の家をやる。モリさん、気持ちは変わっていないか」
守田被告の返事は「大丈夫だよ、やりましょう」。守田被告はすでに、不正パスポートを作るのに必要な他人名義の保険証も手に入れていた。
家族の動きなどを繰り返し下見で確認した。馬渕隆一会長(74)宅を襲ったのは、出所42日目の8月5日午後3時すぎ。宅配業者を装って玄関から押し入り、妻悦子さん(当時66)、長女由香さん(同40)を殺害し、現金数十万円と腕時計などの貴金属10点(時価966万円相当)を奪った。「証拠隠滅」のために混合ガソリンをまき、火を放つ。
だが、目標額の「10億円」とは程遠く、パブでの飲み代などに費やして、まもなく金は尽きた。
「金のあるところを狙いましょうよ。どっちにしろ捕まったら同じなんだから」
そんな守田被告の求めに応じるように、新たな対象を探す。同年9月、「医者なら裕福」と、電話帳に広告が載っていた東京都目黒区の歯科医師宅。11月には、「かつて店がにぎわっていた」と我孫子市の金券ショップ社長宅。2件の強盗殺人事件で、計百数十万円の現金などを奪った。その後は群馬周辺で窃盗を繰り返す。
マブチ会長宅事件の後、小田島被告は池袋のパブでフィリピン人女性(29)と知り合う。その関係は、女性の帰国後も続き、日本と行き来する生活を送る。「生涯で最も幸福だった」
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小田島被告を知る元受刑者の情報が端緒となり、2人は県警に逮捕された。守田被告は「自分が話さないと亡くなった2人が成仏できない」と詳細な供述を続けた。小田島被告も途中から事件への関与を認めたものの、裁判の証拠となる供述調書にすることは拒み続けた。
だが、05年10月29日の夜。捜査員から「フィリピンの女性が9月に子どもを生んだ」と聞かされた小田島被告は、接見にきた弁護士(62)に「養育費を作りたい」と相談。マブチ会長宅事件、さらに当時未解決だった目黒と我孫子の二つの強盗殺人についても、弁護士に告白を始めた。
約1カ月後。週刊誌に掲載された手記で、小田島被告は、事件の経緯と、自らの生い立ちを詳細につづる。
北海道・北見生まれ。実母による置き去り、一家心中未遂、と続く生い立ち。貧しさのため高校進学を断念。友人から頼まれた「盗品」を売却して逮捕され、定職と妻を失う——。「凶悪犯罪のすべてを告白し、被害者や遺族の方々に心からおわびしたい」としていた。
だが、週刊誌から受け取った原稿料はフィリピン人女性に送金した。弁護士が「遺族への被害弁済に充てよう」と再三勧めたが、「(資産家の)被害者たちとフィリピンにいる女性とでは生活の程度が違う」と応じようとはしなかった。
今年2月22日、千葉地裁301号法廷。弁護士が、心理学や民主主義論などを持ち出しながら、木訥(ぼく・とつ)とした口調で死刑回避を訴える最終弁論。小田島被告はうつむいたまま聞いていた。裁判長に最終意見陳述を促されると、「ありません」とだけ答えた。
守田被告には昨年12月、同地裁が死刑判決を言い渡している。同被告は控訴中。
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マブチ会長宅など3件の強盗殺人事件発生から5年近く。判決を前に、事件を振り返る。
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