南洲館は1924年開業の老舗。九州新幹線開業に伴い、鹿児島市内でホテルの新築が相次ぎ、南洲館など古い外観のホテルは客足が伸び悩んでいた。
「外観で勝てぬなら料理で勝負」。橋本雄一社長(79)の二男で社長室チーフの橋本龍次郎さん(43)は2005年秋に決意した。
折しも、鹿児島の黒豚のしゃぶしゃぶが観光客に注目されていた時期だった。フロントで宿泊者らから「しゃぶしゃぶの店を紹介して」とよく尋ねられた。「紹介するくらいなら、うちで作ろう」と西元広行料理長(54)に持ちかけた。西元さんは即答した。「あの鍋を使いましょう」
黒光りする鉄製の「熊襲(くまそ)鍋」。直径70センチ、深さ6センチ、重さ10キロ。10リットルの水が入る巨大なものが12個あった。約35年前、鹿児島市内の旅館が廃業する際に譲り受けたもので、タイ1匹、地鶏、エビなどを豪快に盛った寄せ鍋料理「熊襲鍋」で活用していた。
オリジナルの黒豚しゃぶしゃぶ「くろくま」の名は、黒豚と鉄鍋の名前から取った。肉は県内産で、出産前の雌豚のバラ。他の食材もできる限り県内産にこだわる。ポン酢やごまだれではなく、鍋のスープと一緒に食する。カツオ節、昆布のだしに7種類の野菜を入れてじっくり煮込んだだけに、肉の風味が口の中で増すという。中華料理からの着想でレタスも入れた。鍋の終盤に登場するめんは、うどんやチャンポンではなく、「さっぱりした味に合う」と龍次郎さんがラーメンを推した。
客に最初にふるまったのは昨年4月。客は「最後にお茶漬け風の雑炊にしたら?」。スープをかけたご飯は、しゃぶしゃぶで満腹のおなかにも不思議と納まった。この提案を採用した。
満を持して、下関の「食の祭典・鍋コロシアム」に出場。見た目が豪快なだけでなく、繊細な味のスープ、軟らかい黒豚とシャキシャキとしたレタスの食感が審査員をうならせた。スープ茶漬けも狙い通り、審査員のはしを進ませた。出品27点中で、堂々の1位に輝いた。
南洲館を救ったくろくま。今、1か月先まで約150食の予約で埋まっているという。1日に受ける注文は5食程度にとどめる。「目の届かない注文は受けられない。最高の状態で食べてほしい」(同館)からだ。一つの鍋に従業員1人が付いて世話をする。
3度目の予約でやっと味わえた鹿児島市の会社役員福永正典さん(60)は「まだ発見されていない鹿児島のおいしいものがあるんだなあ」と、口に運びながらしみじみ語った。
くろくまは年中、メニューに載せている。予約は4人前から受け付け、1人4500円から。南洲館(099・226・8188)へ。沢井友宏