民主県連代表の仙谷由人(61)は「知事選は自主投票でいいですね」と言った。10日、徳島市の県連事務所での幹事会に集まったのは11人。「この4年間、県連は何をしていたんだ」と声を荒らげる出席者もいたが、最後は全員で「異議なし」と締めくくった。
会議を終えた仙谷は硬い表情で、「党として候補者を立てられる力量がなかった。東京都知事選の『浅野支援』とは違う純然たる自主投票。支持者の判断に任せる」と説明した。
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4年前の知事選。民主は、県議会から不信任を突きつけられた前知事、大田正(63)を推薦した。自公に担がれた飯泉嘉門(46)と真っ向から激突。下馬評は大田有利だったが、「最後の1週間で3万票をひっくり返された」。
「まさか、あの大田さんが負けるなんて」。直後の民主県連の常任幹事会。出てくるのは、ため息ばかりだった。大田は県議選に4回当選し、その前の知事選では16万票を集めた実力者。任期半ばで引きずり降ろされたことに対する同情票もあったはずなのに。予想もしなかった手痛い敗戦を、県連幹部は「大田ショック」と呼んだ。
その半年後の衆院選。民主は徳島1区の仙谷に加えて、比例で高井美穂(35)が初当選。比例区では、自民を3381票上回る14万6715票を集めた。
05年9月の総選挙でも、仙谷が勝利。比例での自民との得票差も5977票まで広げた。小泉政権の「刺客選挙」のあおりを食らう格好で徳島2区の次点に泣いた高井も12月に比例で繰り上げ当選した。
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だが、国政選挙の勢いは、今回の知事選にまでは及ばなかった。飯泉は、各政党と等距離を置く「県民党」を公言するようになり、大田を上回る候補者の当てのないまま、民主内部では、「次は飯泉さんに相乗りしてもいいんじゃないか」という声も出始めた。
知事選まで残り1年となった06年5月、党代表に就任した小沢一郎(64)が「地方選挙で自公との相乗り禁止」を打ち出した。同月、参院選1人区の激励で来県。「知事選への対応を聞かれたら」と、県連はあわてた。
だが、小沢は、徳島市内での記者会見で、「地域の実情もある。(相乗り禁止は)何が何でもというわけではない」と例外に含みを持たせ、懇親会でも、「参院選で勝てば政権交代が視野に入る。徳島県連は非常によく動いてくれている」と理解を示した。県連関係者は「参院選に全力を注げばいいんだ」と胸をなで下ろした。
異議がなかったわけではない。半年後の県連幹事会。副代表の仁木博文(40)が「知事選は独自候補を検討すべきではありませんか」と切り出した。仙谷は「しっかり検討しているところだ」とだけ答えた。同席していた別の幹部は「火中の栗を拾う人はいないだろうな」と思った。それ以上、質問する者はいなかった。
会議後、仙谷は、たばこの火を付けながら、冗談めかしてつぶやいた。「おれが出るしかないかな」と。
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昨年暮れには、飯泉から民主にも推薦依頼が届いた。
年明け、県連は統一地方選の議員候補が配るローカル・マニフェスト(公約集)を徳島市内のホテルで発表した。支持者ら200人が参加し、ゲストは前三重県知事の北川正恭(62)。1週間前、宮崎で「そのまんま東」こと東国原英夫(49)が政党の支援を受けた候補に圧勝したばかり。北川は「なぜ、まんまさんの代わりに民主が頑張らなかったのか。有権者に選択肢を与えるのが野党第1党の使命だ」と訴え、会場の人たちは大きくうなずいた。
それでも、会が終わるまでの約2時間、県連側から徳島知事選に関する報告は、ひと言もなかった。
そして告示まで2週間を切り、県連は「白旗」を揚げた。10日午後の幹事会は1時間余り。大半が県議選に関する話し合いだった。終えて出てきた高井は知事選について聞かれ、悔しさに目をうるませた。「力量不足と言われてしまえばそれまで……」
(敬称略)
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