10万人が一夜にして犠牲になったとされる東京大空襲から62年たった10日、都内各地で追悼行事や集会が行われた。空襲を体験した人が年々少なくなるなか、「風化させない」「語り継いでいこう」という声が上がった。
墨田区横網2丁目にある都慰霊堂。「春季慰霊大法要」が石原慎太郎都知事や遺族らが参加して行われ、約400人が参列した。山崎昇墨田区長は「(空襲の記憶を)風化させることなく、尊い犠牲があったことを忘れません」とあいさつした。
隣接する「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」などにも、祈りをささげる人が終日訪れた。家族に車いすを押された老婦人の姿も。都慰霊協会の職員は「人出は例年と同じだが、高齢の方が少なくなっている気がする」。
大空襲で亡くなった母と妹のお参りにきたという戸山一さん(77)は、地元の町田市の学校などで戦争体験を語るとき、風化を感じることがある。「残念ながら若い人に話しても、あまり関心を持ってくれる感じがしない」
近くの江戸東京博物館では、空襲の被害に対する謝罪と賠償を国に求める集団訴訟を9日に起こした原告団が交流会を開き、約90人が集まった。裁判の相談会では、新たに2人の空襲被害者が参加したいと申し出た。
原告団長の星野弘さん(76)は「裁判の勝敗は世論にかかっている。多くの人の共感、支持が得られるように頑張りたい」と話した。
また、江東区にある空襲の犠牲者を供養するための地蔵や追悼碑を歩いて回る催しが行われ、約50人が参加した。
葛飾区柴又7丁目にある大正の実業家、山本栄之助氏の旧宅「山本亭」では、35人が防空壕(ごう)の見学をした。空襲に関する話と紙芝居の上演が行われ、約90人が聴き入った。
■体験談に涙する人も
都庁では、東京大空襲の犠牲者を追悼する都主催の「都平和の日記念式典」があった。遺族ら約430人が出席し、祈りをささげた。
石原慎太郎知事は「恒久平和を実現するため、世界の人々と相互理解を深めていかなければならない。安心して暮らせる東京をつくることに全力をつくす」とあいさつ。被災者代表として江戸川区の福島美智子さん(78)が、母親やきょうだいと、火の粉の降るなかを逃げて生き延びた体験を語った。「数時間前まであった家は跡形もなく、その横に呆然(ぼう・ぜん)と立つ父の姿を見つけた時、うれしさと悲しさが体中を通り抜け、座り込んでしまった」と話し、会場にはハンカチで目元を押さえながら聴く出席者もいた。
■非核の思い強く語る
江東区亀戸2丁目のカメリアホールでは、東京大空襲・戦災資料センター主催の「東京大空襲を語り継ぐつどい」が開かれ、作家の井上ひさしさんの講演などが行われた。400席の会場は超満員で、立ち見や通路に座り込む人も。
世界地図で、非核兵器地帯を赤く塗りつぶしているという井上さんは「実は、地球上の6割が非核兵器地帯。北半球の国々は流れに乗り遅れている」と話し、「他国も核をやめるという保証がないという意見もあるが、結婚と同じ。最後は信頼するしかないんです」と力強く語った。
中野区の広井直美さん(46)は小学生の娘2人を連れてきた。「父と母が被災し、どうにか生き残ったと聞いていたので……。この子たちにも伝えたかった」
81歳の女性は「東京の空が、夕焼けより赤く燃えたのを覚えている。戦争だけは二度としたくないと、強く思います」。
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