昨年十二月、三選出馬を正式表明した。「別にもう一期やるとか言わないから」とも語り、二〇一六年夏季五輪の招致活動を軸に、三選に意欲をみせた。
「NOといえる東京」を表看板に、都知事選の初当選は一九九九年。二十三歳で芥川賞作家になった文壇エリートは衆参議員、環境庁長官や運輸相も務めた。実弟の故・裕次郎氏とともに表舞台に立ち続けて半世紀、七十代半ばとなったいまは「年寄りのアイドル」を自任する。
「遠慮することないから、僕は(国に)ずけずけものを言いますし。だいたい、こっちが一番年寄りみたいになっちゃった」。歯に衣(きぬ)着せぬ発言が波紋を広げたことは数知れず。相半ばする期待と批判はどこ吹く風とばかりに、そしていつものクシャッとした笑顔である。
都政に軸足を置き、国に「NO」を突き付ける−。その演出こそが“石原流”の真骨頂だ。〇三年十月に始まったディーゼル車の排ガス規制では、すすで真っ黒のペットボトルを振り上げ、象徴的な小道具にした。
ヨットマンの知事らしく「“風”を感じて、自分の推進力にするのがうまい」とは知人の弁。政財界のブレーンはもとより、「現場感覚」が生み出す発想の大切さを説く。アイデアの斬新さに興味津々で、ベンチャー技術や職員提案の表彰式で見せる表情は、ほかの公務と明らかに違う。
最近では、風になびくスギ花粉を浴びて自身が花粉症になった経緯を引き合いに、「花粉の少ない森づくり運動」を始めた。そしてこのひと言も忘れない。「戦々恐々としていますが、国は何にもしてくれない。だから東京がやる」
作家として執筆意欲も旺盛だ。書きたい長編小説は七本あるという。「ものを書く頭の働きが行政に転じられると、いろんなことを思いついたり、どんな伏線を張ったらいいかが見えてくる」と相乗効果を解説した。
「血が騒いだねえ」
今月初旬、自ら製作総指揮を務めた映画の報道発表で、久しぶりの製作現場を振り返って言った。一方の都政でも、五輪招致に賛成、反対という二者択一を超えて、都民の血をどれだけ騒がすことができるかがカギになる。
「花道をつける」と、対抗馬に友人が立つ春。戦法は「秘中の秘」と言ってまた、クシャッと笑った。 (石川修巳)
1932年9月30日神戸市生まれ。一橋大学在学中に発表した「太陽の季節」で芥川賞受賞。68年に参院全国区に自民党から立候補し、史上初の300万票を獲得してトップ当選した。72年以来、衆院に8選。その間に75年都知事選で当時の美濃部亮吉知事に敗れた。95年、在職25年を機に衆院議員辞職、芥川賞選考委員に。長男伸晃氏、三男宏高氏はともに衆院議員。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tko/20070310/lcl_____tko_____001.shtml